東神戸教会
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メッセージ   2010年のメッセージ



『 種をまく人、刈り取る人 』   ヨハネによる福音書4:31-38(1月3日)

昨年、2009年は、横浜に初めての宣教師・ヘボンが来日して150周年に当たるということで、
「日本伝道150年」と銘打った式典があちこちで行なわれていた。
しかしこの計画に対し、近年、疑義が唱えられるようになった。
それはヘボンよりさらに遡ること13年、1846年にベッテルハイムという宣教師が、
沖縄(当時は琉球)に来ていることが明らかになっているからだ。

この事実を無視して、ヘボンを「日本伝道」の起点にすることは、
沖縄の歴史を軽視・無視することになる。
そしてそれは沖縄に多くの痛み(米軍基地)を負わせている体質と同じ道に通じる...
そのような批判がなされているのである。

ベッテルハイムの琉球での8年間の活動では、
医療活動(種痘の予防接種)や、琉球語の聖書翻訳も行なわれたが、
結果として教会を建てるには至らなかった。
一方、ヘボンは横浜・東京において長く伝道し、
横浜公会、フェリス女学院、明治学院を建設した。

これについて「ベッテルハイムの伝道は失敗したが、ヘボンは成功した。
だから『日本伝道』の起点はヘボンでいいのだ」という意見が語られたとも聞くが、
それはあまりにも狭い見識だと思う。

「東洋の、まだ見たこともない国に行って、
 その地に住む人々にもイエス・キリストを伝えたい...」
そんな熱い志をいだいて海を渡った宣教師たち。
その働きがあったおかげで、いま多くの人が福音にあずかっている。
この「種まき」の働きに、優劣などつけらるわけがない。

イエスは「一人が種をまき、別の人が刈り入れる」ということわざを引用しつつ、
「種をまく人も刈る人も、共に喜ぶ」と言われた。
それが「伝道」というものだ、と教えられたのだ。
自分が直接その収穫にあずかることができなくても、
将来誰かが喜びのうちに刈り入れをするであろう...
そのことを共に喜びながら種をまく働きは、尊いものだ。

伝道に限らず、私たちの暮らしに欠かせない大切なものの多くは、
そのような人々の不断の努力によってもたらされた(人権、医療、科学技術等々)。

さて、その実りを受ける私たちは、どうすればよいか。
自分たちが収穫の恵みにあずかっている...そのことをただ喜ぶだけでよいのだろうか?
私たちもまた、やがて来たりくる「新しい人」のために、
種をまき、木を植える、そんな働きを担うことを大切にしたい。




『 天幕を覆う雲 』     出エジプト記40:34-38(1月10日)

昨年(2009年)年末に放映されたNHKのドラマ『坂の上の雲』は、
映画並みの脚本と映像で、よくできたドラマであった。
司馬遼太郎の同名の小説が原作だが、明治という激変の時代に、
自らの可能性に向けていきいきと生きる若者の姿が描かれていた。
そのエネルギーを象徴するものとして、
青空に輝く一朶〔いちだ〕の雲を見上げながら坂道を登る人の姿が語られる。
ここでの雲は、未来への希望であり、
ワクワクする思いで挑んでいく大きな目標である。

今日の聖書の箇所にもまた、雲が登場する。
旧約聖書において、雲はしばしば「神の臨在」を物語る象徴として語られている。
出エジプトの旅の始まりに、人々を導き、
時に危険からも守ったのが「雲の柱、火の柱」であった。
賀川豊彦が東京での社会事業活動を始める際に、
ここから「雲柱社」と名付けたのは有名な話である。

イスラエルの民を率いて旅を続け、シナイ山で十戒を授かったモーセ。
その彼が、これから新しい共同体を築くときに、
一番はじめに取り組んだことが、幕屋の建設であった。
神を礼拝する場所を整えることから、新たな国作りを始めていったわけだ。

36-39章にかけて、その幕屋の部品調達についての細々とした記述が続く。
私たちにとって「無味乾燥な記述」にも思えるが、
古のイスラエルびとたちは、これをワクワクする思いで読み、
嬉々としてその準備をしたのだろう。
私たちも、他人の家の設計図には興味が沸かないが、
自分の家を建てるとなると、とたんに細かな部分が気になるではないか。

そうしてできあがった幕屋。するとその時、
「雲は臨在の幕屋を覆い、モーセはそこに入ることはできなかった。」
そのように記されている。

自分たちの手の届かない存在である、雲。
しかしその雲が、自分たちの大切な幕屋を覆っている。
「神さまが共にいてくださるとは、そういうことなのだ」
そんなことが示されているように思う。

ここには、もうひとつ大切なことが示されている。
一番大事なのは、幕屋の建設それ自体ではなく、
そこが「神が共におられる場所」と成り得ているかどうかということだ。

共に「幕屋を覆う雲」を求めよう。




『 虹の彼方に 』     創世記9:12-17(1月17日)

15回目の1月17日である。
ここ数年、「震災を憶え、いのちを祝う礼拝」として行なっている。
今年は「第3礼拝」の日でもあるので、歌をうたいつつ、震災の出来事を想い起こす時としたい。
今年は、「虹」をテーマにした歌を選んだ。

震災10年目の記念日の光景から生まれた歌がある。
その日、朝から大雨が降っていたが、夜明けと共に雨はやみ、六甲山に大きな虹が出た。
あのノアの箱船の物語でも、洪水の苦しみの後に、
神の祝福のしるしとして虹がかかったという記述がある。
10年目の虹は、この街に行き続けてきた人々への、天からの祝福のように見えた。

 ♪虹のやくそく、不思議な導き 信じるこころが僕らを支える
  明日を信じ、空を見上げ、物語を紡ごう
               (『虹のやくそく』)

虹は、自然災害のみならず、大きな苦難・試練の出来事の後、
新しく歩もうとする人々への希望のシンボルとしても用いられた。
「もしイエスが、戦後の荒廃した日本に再び来られたら、どんな生き方をされるだろう...」
そんな問いかけと共に始まった東神戸教会の歴史。
その母体となった生活協同組合のシンボルもまた、虹である。

 ♪きらめく七色の 架け橋見つめつつ、
  こころは動かされて新しい明日へ
           (『空に架かる希望』)

今年の夏、佐用町の水害のボランティアに一日だけ出かけてきた。
泥に埋まった家から泥を掻き出し、壁や廊下をぞうきんで拭く。
猛暑でフラフラになりながら、気が遠くなるような作業が続いた。
我々ボランティアは一日だけの体験だが、その家の人にとってはそれがずっと続いたのだろう。
帰り道、ふと気がつくと、風がそよぎ、ひぐらしが啼き、とてもさわやかな村里の夕暮れがあった。
洪水さえなければ、とてもいい村の風景なのだろうなぁ...そう思って空を見上げた。

 ♪虹が虹が 空にかかって 君の君の気分も晴れて
  きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気
                    (『にじ』)

人間には虹が必要なのだと思う。
人生はいいことばかりではない。
苦難や悲しみにしか目が向かなければ、心は沈み込んでしまう。
放っておけば心がつぶされてしまいかねない、そんな中で、それでも生きられるのは、
それぞれの人にとっての「虹」を見るからではないだろうか。

震災で直接被災した人以外にも、いろんな苦しみの出来事があった。
当時、赤穂市に在住していたMさんは、1月18日に目の手術を受けるはずだった。
しかし震災で手術は延期され、半年後に手術を受けた5日後に失明された。
糖尿病の合併症による網膜剥離。手遅れだった。
年頃の5人の子どもをかかえながら、仕事も辞めざるを得ず、
ショックで10年間引きこもるような生活を続けた。

2005年、あるきっかけで川柳のサークルに誘われ、作品を作るようになった。

 「たいくつと 向き合うコツを ねこに訊き」

 「『お前より、ましか』と元気 出すあいつ」

飄々とした作風の句は、いくつも優秀作に選ばれ、自信がついた。
点字を覚え、パソコンを始め、世界が広がった。
Mさんも、震災がきっかけで大きな絶望の淵に立たされたひとりである。
けれども川柳と出会うことによって新たな希望を得ることができた。
Mさんにとって、川柳が「虹」なのだと思う。
Mさん、15年目の作品。

 「足して引き ひとつ残れば いい人生」

虹を見つけた人の持つ、強さと大らかさを感じさせてくれる句である。


私たちにも虹を見る力が与えられている...そのことを信じたいと思う。
自分にとっての虹は何だろう...それを求めて歩んでいこう。

 ♪虹の彼方では 青い鳥が飛ぶという
  鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら 私にだって飛べるはず!
                      (『Over the rainbow』)




『 これをつかってちょうだい 』  マタイによる福音書6:5-15(1月24日)

「五千人の給食」と呼ばれる奇跡物語である。
イエスが実際にパンを増やされた...などととらえると、にわかには信じがたい「眉唾もの」の話となる。
しかし四つの福音書すべてに記されているのだから、核となる何らかの出来事があったのであろう。
僕が高校生時代に聞いた解釈が一番納得いくものだった
     (以下は当時の教会学校の先生が話してくれた解釈)。

食べ物を持っていたのは実は一人だけではなく、他にもいたのだろう。
でも自分の食べる分が無くなるから、誰もそれを提供しなかった。
けれども、そんな「自己チュー」な姿に開き直ることもできず、どこかに「良心の呵責」を感じていた。

そんな中で、自分の持っているパンと魚を差し出したのは、ひとりの少年だった。
こどもの振る舞いから、大人のほうが大切な何かを学ぶ、ということがしばしばある。
この場面で、少年の無私の行為に触れた大人たちは、自分自身の不徳に恥じ入ったのではないか。
それで、実は持っていた自分の食べ物を、
そこかしこで近くにいる人たちと分け合っていったのではないか...そんな解釈である。

「なるほど、それならあり得る。奇跡ではない。」と言う人もあろう。
しかし僕は、それはやはりひとつの「奇跡」だと思う。
自己中心的に生きてしまう人間が、他者と共に生きる存在へと変えられる出来事、
それが奇跡でなくていったい何と言えるだろう。

ではこの奇跡を生み出したものは何か?
イエスの教え、イエスの福音にその力があった...それもあるだろう。
しかしもうひとつ「奇跡の種」を見る思いがする。
それは「これをつかってちょうだい」と申し出た、少年の思いである。

申し出を受けた弟子たちは、「たったこれだけで何の役に立つのか」と
“おとなの判断”を下してしまった。そこには、奇跡は起こらない。
しかしその小さなひと言が、周囲のみんなの心を開いていくとき、
それがやがて「奇跡」とも思えるような出来事につながっていくである。

同志社の校祖・新島襄が、アメリカで牧師の資格を得て日本に帰るとき、
教派の大会で「帰った暁には、日本にキリスト教の学校を作りたい」と涙ながらのアピールをした。
その熱意に動かされて、500ドル、1000ドルと、寄付を申し出る人が次々に現れた。
ふと見ると、ひとりの年老いた農夫が1ドル紙幣を2枚差し出している。
感謝して受けとると、農夫は言った。
「私の帰りの汽車賃だ。帰りは歩いていくことにするよ」。
新島は帰国後、「この2ドルこそ、同志社の心の礎(いしずえ)だ!」と繰り返し語ったという。

「これっぽっちで何になる」と動く前から諦めていたのでは、何事も起こらない。
自分にできることを心から献げるとき、そこに奇跡が生まれる。
「これをつかってちょうだい」、そんな風に言える心を求めてゆきたい。




『 具体的な献げもの 』    レビ記5:7-13(2月7日)

月に一度の旧約聖書の学びは、先月で出エジプト記が終わり、今月からレビ記に入る。
レビ記は儀式の所作や様々な戒律が記されてる「規則集」のような書物で、
現代の私たちにとっては少し縁遠いように思える内容の文章も少なくない。
しかし今回、改めてじっくりと読んでみて、新しい気付きが与えられたこともある。

出エジプト記は民族解放の大いなる物語であるが、その最後の部分には、
「幕屋(=移動式の神殿)の建設」についての詳細な取り決めが記されていた。
レビ記の冒頭には、その幕屋で行なわれる儀式についての細かな決め事が記されている。
冒頭7つの章にわたって記されるのは「献げ物」についての規定である。

現代の私たちの礼拝において、中心となるのは「聖書の言葉による説教」であったり、
「賛美や祈り」だととらえられている。
しかし古代イスラエル人にとって、礼拝のクライマックスにあたるのは、
供え物(いけにえ)を献げる儀式であった。
私たちはお金で献げ物をするが、
古代イスラエルでは牛や羊といった、動物のいけにえが献げられた。
それらを実際に屠り、その血や肉を火に注ぐと、その煙が天にのぼる。
これが礼拝の中心・クライマックスだったのだ。

儀式にはいくつかの種類があった。
和解の供え物、贖罪の供え物、賠償の供え物などである。
中でも大切だったのが、自分の罪を償う「贖罪の儀式」であった。
自分の命を贖うのであるから、大切にしていた家畜の命をもって贖いを受けるというワケだ。
これらの家畜は人々の大切な財産であり、
それを献げることは正直言って「少し痛い」ことであった。
だからこそ罪の赦しを受けることができると信じられた。

今回気付かされたのは、レビ記の献げ物の規定は、たいへん具体的であるということだ。
財産を多く持つ者にはそれに見合った献げ物、
貧しい人もその暮らしぶりに見合った献げ物の規定がある。
牛や羊を献げることができない人には、鳩や穀物(小麦粉)の献げ物が定められた。

新約聖書を見ても、具体的に献げる姿があちこちに記されている。
神殿において、多くの金持ちが有り余る中から献げたのに対して、
ひとりのやもめが献げたのはレプトン銅貨2枚、それは彼女の「生活費全部」であった。
イエスはこの人の「具体的に献げる姿」を賞賛された。

「5千人の給食」の物語で、少年が差し出したのは「二匹の魚、五つのパン」であった。
その具体的な献げものの中から、みんなの者が満ち足りるという「奇跡」が起こった。

イエスと出会うことによって、本当の救いを得た、取税人の頭・ザアカイ。
悔い改めた彼が申し出たのは、「財産の半分を貧しい人に施します」というものだった。
「半分とはケチくさい...」そう思うだろうか?
しかし大金持ちのザアカイ、その財産の半分は、とてつもない大きなものであったと言える。
「財産の半分」...極めて具体的である。
私たちのうち、誰が財産の半分を献げることができるだろうか。

私たちの教会では、献金についてこのような呼びかけをしている。
「神への感謝の思いを込めて『精一杯』献げましょう」。
具体的な数値や金額は何も示してはいない。
この基本姿勢は今後も変えなくても良いのかも知れない。
しかし、「精一杯」というのは、ある意味抽象的な、あいまいな言葉である。
それがいつしか「これくらいやっとけばいいだろう」となってしまうならば、残念なことだ。

昔の人々が「少し痛い」という思いを抱きながら、具体的な献げ物を持ち寄ったということ。
その献げものを献げる姿から、何かを学ぶ者でありたい。




『 信仰の確かさとあやうさ 』    ヨハネによる福音書4:39-42(2月14日)

人は誰しも、自分にとって大切な価値観を持つに至るのは、
「誰かからそれを伝えられる」という営みを通してであろう。
人の言葉を聞き、文章を読み、「なるほど、そうやなぁ…」と共感を覚える。
その体験の積み重ねの中で、やがてそれが「自分の価値観」となっていく。
この意味で、私たちの価値観というものは、そのほとんどが「受け売り」のものではないか。

信仰についても同じことが言える。
私たちが信仰を抱くのは、「無の状態」から生じるのではなく、
誰かからの言葉を聞き、伝えられて信じるようになっていくのだと思う。

イエスとの出会いによって心の癒しを得たサマリアの女性。
彼女は自分の住む街に帰り、人々にイエスのことを語り伝えた。
すると街の人々は「この女の証言した言葉によって、イエスを信じた」と記されている。
「聞いて、信じる」。それが第一段階である。

しかし、信仰には必ず次なる段階が訪れる。
それは「受け売り」の信仰から、やがてそれが「自分で考えて信じる」に至る道のりである。
街の人々は、その後イエスに出会い、その教えや言葉を聞き、さらに信仰を深めた。
「私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。
 私たちは自分で聞いて、この方が救い主と分かったからである」(42節)。

ただ受け売りに、やみくもに信じるのではなく、
自分で聞いて、考えて、信じるという営みは大切なものである。
ここに、自立した信仰の確かさというものがある。

しかし、そこに同時に「信仰のあやうさ」が潜んでいるのではないだろうか。
「自分で考えて信じる」― それは下手をすると
「自分の思い込みを正当化する」ことになりかねない。
本当は何も知らないのに「私は知っている」と思い込んでいる人間ほど、傲慢な存在はない。

「私は信仰の確かさを求めたい。」
「だから受け売りだけでなく、自分で考えて信じようと思う。」
「なんだか正しい信仰に至れたようなきがする。」
「しかしこれで本当に正しいのか、だんだん分からなくなってきた。」
「だからいっそう信仰の確かさを求めよう。」

この行き戻りする不断の営みこそ、信仰の歩みだと言えるのではないか。




『 今も働いておられる神 』   ヨハネによる福音書5:9 b-18(2月21日)

今年もレントの季節に入った。
イエス・キリストの十字架への歩み、その苦しみを覚えつつ過ごしたい。

今日の箇所は、イエスが昔からの規律を破って、
安息日に病人を癒されたことを巡ってのやりとりが記されたところである。
同じ出来事は、他の福音書にも記されている。
そこでは法や規律と人間の生き方との本来的な関わりを示すイエスの言葉が語られている。

「安息日は人のために定められた。人が安息日のために生きているのではない」
「安息日に許されているのは、善を行なうことか、悪を行なうことか。
 命を救うことか、殺すことか。」

しかし、ヨハネ福音書のイエスは、少し違う理由で自分の行動について語っている。

「わたしの父は今も働いておられる。だからわたしも働くのだ。」

神さまが私たち人間に働きかけてくださる。
その恵みの出来事において安息日も平日もない、ということ。
その神の働きがまずあって、その中でイエスもまた宣教の働きを担われたということだ。

「神の子イエスがまず宣教を始められた」のではなく、
「神がまず働いておられる中で、イエスもその働きを担われた」ということ。
微妙な違いのようであるが、これは「宣教」ということについての理解を、
大きく変革することにもつながる考え方なのである。

20世紀のキリスト教界に大きなインパクトを与えた、
『ミッシオ・ディ(神の宣教)』という考え方がある。
従来「宣教」とは、「キリスト教のまだ伝わっていないところに出かけて行って、
そこで福音を伝え信者を増やすこと」ととらえられていた。

この理解に基づいて世界宣教を担った人々は、純粋な熱意でその働きに参加したことだろう。
しかしそれは別の視点から見ると、西欧キリスト教諸国による、世界植民地化の歴史でもあった。
15~16世紀にはカトリックが、19~20世紀にはプロテスタントがその先鋒を担いだ。

「それはキリスト教の自己中心主義、自己拡張主義の発想ではなかっただろうか」。
『ミッシオ・ディ』はそういった反省から生まれた神学である。

宣教師が派遣されたり先に、あるいは教会が建てられたりするより先に、
まず神がその地において宣教のわざを始めておられる。
「イエス・キリスト」とか「父なる神」といった言葉はまったく使われていなくても、
この世界を愛と正義に根ざした神の国へと導く働きを既に始めておられる。
人間にできることは、それを発見し感謝してそのわざに自分も参与することなのだ...。
これが『ミッシオ・ディ』という宣教理解である。

この宣教理解の中から、いわゆる「布教活動」「信者獲得運動」だけではなく、
正義と平和、差別や人権、環境やいのちの課題に取り組む教会の大切な働きが生まれていった。

人間は時に迷うし、過ちを犯す。
しかし神がまず働いておられることを信じて歩むとき、道が整えられる。




『 神の子の権威とは...? 』  ヨハネによる福音書5:19-30(2月28日)

ヨハネ福音書では、イエスが神を「わたしの父」と呼んだことが、
律法学者・ファリサイ派の憎しみを買うことになった理由とされている。
神を「父」と呼ぶ、という習慣がユダヤ教の中にまったくなかった訳ではない。
しかしイエスが極めて身近な意味で、
それこそ「オトウチャン」というくらいの親しさで神を呼ばれたことがユダヤ人には許せなかった。

「イエスは神の子であり、人間の罪を贖う救い主である」...
これはキリスト教の中心的な教義のひとつである。
しかしヨハネ以外の福音書の中で、イエスが「神の子」を自称した箇所はなく、
回りの人々がその言葉を用いているものがほとんどである。
(「お前は『神の子』か?」「まことにこの人は『神の子』であった…」等々)

これに対しヨハネ福音書のイエスは「神の子」を自称している。
ヨハネのイエスは、どこか「権威主義」的な感じがする。

今日の箇所においても「父は子に裁きを行なう権能をお与えになった」と語り、
最後の審判について語っている。あのミケランジェロの『最後の審判』の絵のような、
「恐ろしいキリスト」のイメージすら漂うイエスの言葉である。

しかしそれを挟むように語られている言葉に注目したい。
「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何もできない」(19節)、
「わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く」(30節)。
自分の働きはあくまで父=神のみこころの内にある...
そう言って自分の権威を振りかざすことを自制するような言葉が語られるのである。

そもそも「権威」とは何であろうか?
それは自らが人に向けて誇示するものではなく、
人間関係の中で自ずと立ち上がるものではないだろうか。
高圧的な権威主義は問題であるが、信頼と尊敬の中から生まれる権威は、
それはそれで大切な、とうといものと言えるのではないか。

イエス・キリストに現された神の子としての権威、それは「人に仕える権威」である。

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となりなさい。
 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
 多くの人の身代金として自分の命を献げるためにきたのである。」(マルコ10:43-45)

「キリストは神の身分でありながら...自分を無にして僕の身分になり...
 十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6-11)。

その「隣人に仕える」生き様に私たちも倣う者でありたい。




『 「汚れ」とは何か? 』        レビ記11:1-12(3月7日)

大変残念なことであるが、人間社会には「差別」という現実がある。
その差別感情の出所を根っこの部分にまでたどっていくと、
そこには「汚れ(穢れ=ケガレ)」という感覚が存在していることに気付かされる。
例えば日本独特の差別である部落差別は、出生地に基づく身分差別であるが、
その身分を表す言葉が「穢多(えた)」とあるように、そこには「汚れ」の発想が根底にある。

同じようなことは人間社会の中で繰り返し起こっている。
学校などのイジメでも、「○○君に触るとバイ菌がうつるよ」などという言い方がされる。
黒人差別もユダヤ人差別も、どこかしらに「汚れ」の感覚が横たわっている。

ではその感覚とは、いったいどこから生まれてくるものなのだろうか?
社会学者メアリー・ダグラスは、それを「秩序に反するもの」ということで説明する。
机の上の紙はゴミではないが、床に落ちているとゴミになる。
口の中の唾は汚れてないが、コップの水に浮かぶ唾は、自分のものであっても抵抗がある。

人間は物事を本能的に見るだけではなく、常に秩序立てて見ている。
そしてその秩序から外れたものを「汚れ」という感覚で受けとめる。
人間関係の中でもそのような「秩序」が作られる。
そしてその秩序から外れた人々を「汚れた民」と見定め、そこに差別が生まれるというわけだ。

部落差別のことで言えば、差別を受けた人々は動物の屠殺や死体処理、
芸能などに関わる人たちだったと言われる。
そのような人々を「日常の秩序から外れた人々」と見る視点の中から「汚れ」の感覚が生まれ、
差別につながったのではないだろうか。

秩序から外れたものや人に対して「汚れ」という感情を抱く…
この感覚は「私は差別をしない、したくない」と思っている人の心の中にも生じるものだ。

レビ記には食物に関する規定があり、清いものと汚れたものに分けられている。
牛や羊やヤギは清いので食べてもよいが、らくだや豚やイカ・タコは汚れているとされて、
食べるのを禁じられた。そこには何の根拠も記されていない。
「それっておかしいよね…」と言う私たちにしても、
犬や猫や猿の肉を食べることには抵抗があるのではないか。

このタブーがユダヤ人内部で運用されているだけならば問題はなかったかも知れない。
しかし、異なる文化の人々が交わる状況の中に置かれると、問題が前景化する。
なぜならそこには必ず「差別」という問題が生じるからである。

イエスはあらゆる差別を乗りこえてすべての人々と共に生きられた。
そのことを私たちは知っている。
イエスにとって「神の国の福音」とは、人と人を分裂させ敵対させるものではなく、
人と人を結びつけ共に生きる暖かさを生み出すものであった。

そのイエスは、レビ記の食物規定とどのように向き合っておられただろうか?
聖書にはひと言も書いていないので想像するしかないが、
異なる食文化に生きる人々から招かれた時などには、ブタを食べられたのではないかと思う。

使徒言行録には、ペトロが禁じられた食物の幻を見、
「これを食べろ」と命じる声を聞いた、という話が記されている。
これは異邦人を教会に迎えなさい、という「主の声」であったということだ。

神が造られたものに「汚れたもの」など存在しない。
そう信じて、内なる「汚れの意識」を乗り越え、他者と共に生きる者でありたい。




『 人の誉れによらず 』  ヨハネによる福音書5:39-44(3月14日)

直前の箇所でイエスは、「神の子の権威」について語っている。
それは「自ら振りかざす権威」ではなく、
「父のみこころを授かった」ところから生まれるものであった。
「私は自分では何もできない。ただ父の意志を行なうだけだ」(ヨハネ5:19)
それがイエスの思いであった。

これは、一歩間違えば大変危ない態度だとも言える。
もし自分の前に「私の働きに神の意志が表れている」と名乗る人物が現れたらどうするだろうか?
「おっしゃる通りです。今日からあなたに従います」となるだろうか?
むしろ「何言ってんだ、それはあんたの思い込みだろうが!」と対応するのではないか。

現代社会、これだけ科学や技術が発達した時代でも、占いや霊能者のたぐいが流行る現実がある。
しかし多くの人は「あれはまやかしだよ。ちょっとアブナイよ…」と受けとめていることだろう。
「私の働きに神の意志が表れている」と語るイエスと、巷の霊能者との違いは何だろうか。

今日の聖書の箇所に、その違いをはっきりと示す言葉がある。
 「わたしは人間による証しは受けない(34節)
「わたしは、人からの誉れは受けない」(41節)
イエスはそう語られる。

自分の働きは、人々のウケをねらうようなものでもなければ、名誉を得ようというものでもない。
私の願いは、ただ神のみこころがこの世に現わされることだ...。
ここが、「私は神の声を聴いた」と自分では語りつつ、
実は人に取り入ろうとしている姿が透けて見えるような世の霊能者と、イエスとの違いである。

ではイエスがひたすら願われたという、その「神のみこころ」とは何か?
ヨハネ3章16章のイエスの言葉がそれを指し示している。

  「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
   ひとり子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。

この言葉に示されるように「この世が救われること」、それがイエスの担った「神のみこころ」であった。
そして、そのために必要ならば、自分の命ですら差し出そう...それがイエスの生き様であった。
そんな生き様は、バーッと一気に「人の誉れを受ける」というものでは本質的にはなかったはずだ。
しかし、その姿と真実に出会った人の心の中には、
「本当にこの人は神の子であった」と語らしめる信仰が生まれていったのだ。

人の誉れを受けず、ただひたすら神のみこころを願って生きる...、
それはある意味で極めて孤独な、孤高な生き方だったと言える。
けれども、だからこそそこに「自ずと立ち上がる権威」が生まれるのではないか。

私たちはつい人の目を気にする。そしてそのことでしばしば過ちをおかしてしまう。
「人の誉れを受けず」歩んだイエスを見つめながら、そんな自分の姿をふり返り、
少しでもイエスに倣う者となりたい。




『 イエスはよき羊飼い 』    ヨハネによる福音書10:11-16(3月21日)

プロテスタント教会では、教会の専門職のことを「牧師」と呼ぶ。
これは「羊飼い」という意味である。
日本キリスト教団では「教師」という呼び方をするが、私はあまりこの呼び名がしっくりこない。
教会での人と人の関わりは「教え・教えられる」というものではなく、
「出会い、交わり、互いに育て合う」ものだと思うからだ。

東神戸教会に赴任してすぐに
「私のことを『先生』と呼ばないで下さい。抵抗のない人はファーストネーム(「じゅんさん」)で、
それが呼びづらい人は『牧師さん』と呼んで下さい」とお願いした。
「先生」は確かに便利な呼称であるが、教会においては「牧師」の方がふさわしいと思うからだ。

なぜプロテスタントでは「牧師」と呼ぶようになったかというと、それにはモデルがあった。
旧約聖書ではイスラエルと神との関わりを「羊と羊飼い」のモチーフで語る箇所がいくつもある。
「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない。」(詩編23編)。
新約聖書でもイエス・キリストと信じる人々との関わりが羊・羊飼いのイメージで物語られる。
「イエスは群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれた。」(マルコ6:34)

聖書の舞台、パレスチナでは、羊はとても身近な生き物だった。
羊は目が悪く方向音痴で、自分たちの身を守るために群れを作る性質があった。
先導者に従う習性が強く、それが家畜化にされるにあたって大きな要素であった。
羊が人間に養われることがなかったら、とっくの昔に絶滅していたのではないかという指摘もある。
それほど弱い生き物だということだ。
昔のイスラエルの人々が、自分たち人間のことを羊に譬えたところには、
人間の弱さと神の導きの確かさが現わされていると思う。

「牧師」という言葉の大元が神さまやイエス・キリストであったと聞くと、
大変畏れ多い気持ちになる。
牧師といえども一人の人間として、迷うこと悩むことの多い存在である。
しかしその牧師には「牧師の牧師」としての存在がある。
「よい羊飼いは羊のために命を捨てる」そのように語られるイエス・キリストである。

「イエスはよき羊飼い」― そう信じて、導きを受けて歩みたい。




『 低く腰をかがめて 』  ヨハネによる福音書13:1-15(3月28日)

ヨハネ福音書では、最後の晩餐の席上で、
あの聖餐式の原型となったやりとりが記されていない。
(それは既に6章のところで語られている。)
その代わりに、イエスが弟子たちの足を洗われた、「洗足の出来事」が記される。

イエスは自分の行く末に迫る運命を悟り、十字架の苦難を覚悟された。
最後の時に弟子たちに残すメッセージを、言葉だけでなく自分の行動を通して示された。
それが足を洗う、という行為であった。

当時のならわしでは、それは奴隷が主人に対して行なうことであった。
イエスの一番弟子であるペトロは「私の足など、決して洗わないで下さい」と言った。
しかしイエスから「もし私があなたの足を洗わないなら、
私とあなたは何の関係もないことになる」と言われると、
「では足だけではなく、手も頭も」と返した。
イエスは言われた、「足だけで十分である」。

「救い主であるあなたが、人の足を洗うなんてことなさらないで下さい」。
この発言の背後には、そのような仕事は「みんながイヤがる仕事だ」という価値観がある。
確かに世の中にはそのような仕事があるが、
それを自ら進んでやってみると、その営みの中にもささやかな喜びがあることに気付くだろう。

先日、六甲中学・高校の「訓育活動」の新聞記事を見た。
パンツ1枚の姿になってトイレ掃除をする子どもたちの姿が取り上げられていた。
当初、掃除をイヤがっていた子たちも次第にその意義を受けとめ、
だんだんと進んでその作業に関わるようになるそうだ。
「子どもたちには単に上に立つだけでなく、
自ら地にはいつくばって苦労を知るリーダーになってほしい」(教師談)。

イエスが洗足を通して示されたこと、それは「互いに仕え、共に生きる」ということだ。
そう聞けば何か崇高な理想論のように思えるが、理念先行で受けとめるのではなく、
まず「低く腰をかがめる」その身体のふるまいに身を置いてみることが大切だ。
私も教会のトイレ掃除をよくするが、
教会の講壇からメッセージを語っているだけでは見えないことがそこでは見えてくる。

「こないだは、子どもが多かったからたくさんはずしてくれたわ...」
「先週は、だれかお腹の具合が悪い人がいたみたいだな...」

黄色い飛沫、茶色いこびりつき、縮れた毛やいろんな落とし物。
それは教会に集まる人々の、「具体的な生活そのもの」だ。
そういったものを見つめ、感じるところから、
「共に生きる生活」「互いに仕える生活」というものが始まっていくのではないか。

腰を低くかがめるから見えてくるものがある。
地にはいつくばるからこそ、理解できるものがある。
それが“Understand”ということではないだろうか。

イエスは腰を低くかがめて、身をもって人々と共に歩み、
人々に仕える生き方、その豊かさを示された。
私たちもそのふるまいを想い起こし、「身をもって」互いに仕える歩みを求めたい。




『 引き継がれてゆくいのち 』  コリントの信徒への手紙 ① 15:54-58(4月4日)

「救い主が、十字架の上で処刑され命を奪われてしまった」。
その出来事は、イエスを信じ従った人々にとって大きな痛手であった。
単に指導者を失ったというだけでなく、
信じてきた価値観そのものが揺らぐ、「信仰の危機」であった。

「互いに愛し合う」そのことを生涯を通して教え示したイエス。
しかしイエスはそれをただ言葉で語っただけでなく、生き様を通して貫かれた。
そしてその視点から「これはおかしい!」と声を上げていかれた。
その結果として権力者からにらまれ、十字架にかけられてしまった。
隣人への愛を貫き、いと小さき者・弱き者と共に生きるということは、
イエスの時代は命がけの行為であったのだ。

十字架につけられて、いのちを奪われて、「それですべてが終わり、イエスは敗北したのだ...」
ということであったならば、もう誰も「互いに愛し合う」ことなど求めはしないだろう。
「愛もいいが、自分が不利益にならない程度に、そこそこにしておけ。
 みんな自分がかわいいんだよ...」心にそんな誘惑を受ける。
それが弟子や信じた人たちの遭遇した「信仰の危機」であった。

しかしその時、誰が語るでもない、「声なき声」のような叫びが上がった。
「ちがう。」
「終わっていない。」
「イエスの『あのように生きたいのち』は、
 こんなことでは終わらない。終わらせてたまるか!」
そんな思いと決意が、信じる人々の心の中に次々に宿り、イエスの生き様が引き継がれていった...。
それがイースターの朝に起こった出来事だったのではないだろうか。

今日(4月4日)は、M.L.キング牧師の命日である。
差別を受けていた黒人たちの解放と自由を求める「公民権運動」の、
偉大な指導者として活躍していた道半ばの残念な出来事であった。
しかし、先細りするかと思われた公民権運動だったが、決して終わらなかった。
多くの民衆がキング牧師の生き様を引き継いでいったからだ。

人間は、他者の肉体的ないのちを引き継ぐことはできない。
しかし生き様・生き方というもう一つのいのちを引き継ぐことはできる。
その時私たちは「死よ、お前の勝利はどこにあるのだ」と宣言できるのだ。

「だから愛する兄弟たち、動かされないようにしっかり立ち、主のわざに常に励みなさい。
 主に結ばれているならば、自分たちの労苦が決して無駄にならないことを
 あなたがたは知っているはずです。」(コリント第一 15章)

イエス・キリストのいのちを引き継ぎ、復活の主に支えられて、
私たちも新しく生きる者となろう。
                   (2010年 イースター礼拝メッセージ)




『 「さよなら」は別れの言葉じゃなくて 』  ヨハネによる福音書16:16-24(4月11日)

春、別れの季節。旅立ち行く人を見送る人の心境は複雑だ。
旅立ち行く人の、新たな世界での祝福を祈りつつ、
ぽっかりと心に空いた空白の寂しさに耐えなければならないからだ。

今春、わが家にもそんな別れの出来事が訪れた。
末息子の大学進学により、18年間続いた「5人家族」に終止符が打たれたのだ。
引っ越しのため息子を仙台まで送って行った帰り道、
自分でも意外なほどの猛烈な寂しさを感じた。
それはかつて自分が家から出たときには抱かなかった感情であった。
30数年の時を経て、ようやく当時の親の思いを知ることができたような気がする。

寂しさの奥底にあるものを見つめてみた。
見えてきたのは、自分で自分に課している「父としての振舞い」のようなものである。
妻(母)はそれ以降も時折メールをしたり、電話をしたりしている。
しかし私はそれをしない。
「したくない」のではなく「おいそれ簡単にしてはならない」と自分で線を引いている。
「しょっちゅう連絡を入れてくる親の存在を、きっと息子は鬱陶しがっているだろう...」
そんな風に想像してしまう。それは「かつての自分の思い」と通じるからだ。

「だから別れれば、もう簡単には会えない。
 頼り頼られる関係には区切りを付けねばならない」
そんなことを自分に言い聞かせている。
しかし実際には簡単に区切りなどつけられない。つけたくない。
そんな複雑な心情が「強烈な寂しさ」の根底にあるような気がする。

十字架からイースターに至るイエスの出来事は、
一方では「復活の喜び」の出来事であるが、他方では「別れの悲しみ」の出来事でもある。
弟子たちにとって、イエスにはもう会えない、頼れない、
そんな中で歩まねばならない境遇になったからだ。
その十字架の出来事を前にイエスが語られたのが、今日の箇所である。

「しばらくするとあなたがたはもう私を見なくなる」というイエスの言葉を聞いて、
弟子たちはすぐにはそれを理解しなかったと記されている。
本当は、「分かっていたが、分かりたくなかった」ということではないだろうか。
これまでのイエスの振る舞いを見ていて、イエスに危険が迫っていることは予測できた。
しかし「そんなことがあるはずがない。あってはならない」という思いが生じる...。
十字架の出来事によるイエスの不在 ― その中を自分ひとりで生きねばならない不安...。
そういったものを受け入れたくないという思いがそこにあったとは言えないか。

「しばらくすればまた私を見るようになる」とイエスは言う。
模範解答としては「復活を示唆している」とも取れるが、違う考え方があってもいいと思う。
「別れは確かに悲しい。でも、それですべてのつながりが終わる訳ではない。
 別れた後でも、時には頼り頼られ、身体は離れていても思いは共にいて支え合う、
 そんな関わりがある。あっていいんだよ。」
イエスはそんなことを弟子たちに語られたのではないかと思う。

「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」(「夢の途中」)。
生きている限り「別れ」は避けられない。しかしそれは「永遠の別れ」ではない。
別れても、身体は離れていても、それでも共に歩める関わりがある。
思いと思いが結び合い、頼り頼られ、遠く離れた存在が自分を確かに支えてくれる...
そんな関わりの中で、新たに「共に生きる」道がある。
そのことを信じたい。




『 祭司のはたらき 』  レビ記9:22-24(4月18日)

「牧師さんって、ふだん何してはるんですか?」という質問に、明確に答えるのは難しい。
毎週の礼拝の準備(とりわけメッセージ)や諸集会の準備以外に、
はっきりと決まったルーティンワークがあるわけではないからだ。
しかし一方で、冠婚葬祭にまつわる様々な儀式、特に葬儀の司式はいつ起こるか分からない。
そんな時のために敢えてルーティンにつかず、身体とこころの準備をしている…
それが「牧師のはたらき」というものなのかも知れない。

宗教的な儀式を司る専門職のことを、宗教学では「シャーマン」と呼ぶ。
これは人類の起源に遡るほど古い役割である。
共同体の中で、ひとり生産活動から離れたところで神に祈り、
人間と神との交流を司るのがシャーマンの働きだ。
「人間とは『生産と消費と繁殖』だけを目的に生きる生き物ではない…」
そんな本質がシャーマンの存在を必要とするのだろう。

聖書の世界でこのシャーマンの役割を担ったのが「祭司」と呼ばれる人々であった。
レビ記にはその祭司が司った様々な儀式(犠牲の供え物)に関する規定がある。
そのひとつひとつの内容は、現代の日本社会に生きる私たちには遙かに縁遠い事のように思える。
遊牧民をルーツに持つイスラエル民族の生活風習と、これらの儀式はどこかつながっている。
聖書の神さまは「草食(農耕民)の神さま」ではなく、「肉食(牧畜民)の神さま」だと思えてくる。
農耕文化である日本に暮らす者にとっては、その内容はとてもおどろおどろしく映る。

しかしその儀式の所作や形式ではなく、内実や目的を知ると、私たちとの共通項も浮かび上がる。
犠牲の供え物を献げる根底にあった思いは、罪の贖いと悔い改めのこころであった。
そして、自らの罪を認めその赦しを願う人々と、神さまとの間に立って執り成しを行ない、
神に代わって人々への祝福を宣告するのが祭司のはたらきであった。
「悔い改め」と「祝福」。これは私たちの現代の礼拝でも求められる、大切な事柄である。

「悔い改め」と「祝福」のバランスを著しく欠いてしまうとき、祭司の働きは失墜する。
悔い改めのみを迫り祝福を与えないと、人々は萎縮し生きる喜びが失われてしまう。
これがイエスの時代の祭司や、中世カトリック教会の司祭が陥った過ちだ。
しかし「悔い改め」を伴わない安易な「祝福」は、
やがて人間を傲慢な鼻持ちならない存在へと化してしまうだろう。

宗教改革者・ルターは、改革運動の理念として「万人祭司」を謳った。
聖職者たちが祭司の権能を独占して民衆を牛耳っていることへのアンチテーゼであるが、
何もみんながみんな「シャーマン」としての祭司になれ!ということではないだろう。
「悔い改め」と「祝福」とを自分と隣人のために求め続けていく。
そんな働きこそ、ひとりひとりが担える「祭司のはたらき」である。




『 船頭はイエスさま 』 ヨハネによる福音書6:16-21(4月25日)

1年に一度、大切な教会の総会の日にあたり、
これからの教会の目指すあり方について述べてみたい。

現在取り組んでいる増築献金の、外部に向けての依頼書に、
「私たちの目指す姿」として3つの項目を記した。

ひとつ目は「広場としての教会」。
人間には家庭(個人)と社会(国家)との間にある
「中間共同体」のような交わり(コミュニティ)が必要だ。
しかし現代社会はそういったコミュニティが失われつつある社会ではないだろうか。
老若男女、いろんな世代・性別・社会的立場を異にする人々が、
ひとつに出会い共に生きる。そんな広場となれる教会を目指したい。

ふたつ目は「すき間としての教会」。
人はそれぞれの肩書きを背負って生きている。
その人の社会的立場や所属する集団での役割、それが「肩書き」となる。
それはそれで、その人の大切な一面であろう。
しかし、人間は最初から肩書きを背負って生まれてくる訳ではない。
あまりに肩書きに縛られ、その立場での役割を期待されてばかりいると、
息が詰まることもある。
教会では、しばし肩書きを下ろしてホッとひと息つける。
神のまなざしの下で、肩書きよりも「その人自身」に戻れる。
そんな交わりを大切にしたい。

三つ目は「鏡としての教会」。
「神のまなざしの下にある」ということは、心地よいことばかりではない。
ごまかしの効かないまなざしであり、おのずと自分を見つめることが迫られる。
それはちょうど、人が鏡を見つめるようなものだ。
いい部分ばかりを見ていたのでは、姿を整えることはできない。
悪い部分も含めて自分を見つめ、生き方を整える。
そんな鏡のような教会でありたい。

大きな計画に向けて新しく歩み出す時、私たちは不安を覚える。
イエスの弟子たちが向こう岸へ渡ろうとした時も大きな不安があっただろう。
全部の道のりを自分の力だけで担わねばならないのだとしたら、
その不安は底知れないだろう。
しかし「この船には共にイエスが乗っておられる。
イエスの福音には人を豊かにする力がある!船頭はイエスさまなんだ!」
そう信じて、新たに海へ船を漕ぎ出そう。




『 子を産むことへの畏れ 』        レビ記12:1-8(5月2日)

神戸北野にあるジャイナ教の寺院では「妊娠・生理中の女性は入堂ご遠慮下さい」と記されている。
その差別的で断定的な決め付けに対して、現代では驚きや憤りを隠せない人も多いだろう。
出産や月経といった事柄に対して、これらを「汚れ・不浄」ととらえる発想は古今東西にある。
レビ記12章に記された戒律も、そのような価値観に基づいているものだと言える。
「神の言葉」と言われ「誤りなき規範」とされる聖書の言葉であったとしても、
社会の価値観の移り変わりの中で、その受けとめ方は様変わりをせざるを得ないと思う。

しかし「現代の価値観に合わないから」という理由で、
「こんな箇所は必要ない」とまで言い切れるだろうか。
この事柄がわざわざ項目を割いて記されているところには、
何らかの理由があったのではないだろうか。

ひとつ指摘されていることは、この規定が果たしていた「実利的な働き」である。
「汚れが清まるまでの間、家に止まらねばならない」ということは、
裏を返せば外回り方面の役割は免除されていたということでもある。
出産によるダメージから回復するまでの間、様々な義務的な役割から解放したと見れば、
ありがたく思える側面があったかも知れない。

そもそもなぜ出産や月経が「不浄」とされるのか?
学生時代、聖書学の授業で
「それは血が流れることと関係があるのではないか」という分析による発表したことがあった。
私たちは血を見ると「ぎょっ」とする感覚を抱く。大量の血を見れば気を失う人もいる。
これは血が命の根源に関わるものであり、それ故に人間に一種の「畏れ」を抱かせるものであって、
その感覚が出産や月経に対する「汚れ」の発想につながっていったのではないか...。
そんな発表だったと記憶している。

「出産=不浄」という発想に立つと差別的であるが、
古代の人が出産という行為に対して、一種の「畏れ」をもって眺めていたということは、
なかなか大切なことではないだろうか。

「畏れ」とは「恐れ」ではない。
「自分がそれにふさわしいかわからない」という感覚である。
それは「畏れ」を抱いている対象を、とても大切に受けとめていることでもある。
たとえば「神を畏れる」とは「神さまを怖がる」ということではなく、
「神さまの前に自分はふさわしい存在であるか心配である」という心情であり、
それはある意味、神を大切に思う崇高な心持ちだと言うこともできるだろう。

私たちの周囲では、出産は「呪い」ではなく「祝福」であると受けとめられている。
それは幸いなことだと思う。
しかし、近年、多発する幼児虐待や育児放棄などのニュースを見る時に、
何か大切なものを置き忘れたまま、出産や育児に向かう人が現れているのかも知れないと思う。
安易な祝福を語るだけでなく、どこかで「子を産み育てることへの畏れ」といった崇高な感覚も
大切に受け継いでいかなければならないのではないか...。
そう思えてならない。




『 自分のからだを与える愛 』    ヨハネによる福音書6:48-60(5月9日)

初期のキリスト教会が迫害を受けた理由のひとつに、「人肉を食べる集団」というのがあったという。当時の礼拝は地下の墓(カタコンベ)で行なわれていた。
ローマ人の近寄らぬ墓場に集まり、夜な夜なキリストの肉を食べ血を飲む集団…。
事情を知らぬ人たちが薄気味悪い感情をいだいたのもうなずける。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを得る」(54節)。
このイエスの言葉を、わたしたちは違和感なく受けとめる。
聖餐式の交わりを知っているからだ。
しかし、イエスから直接このように言われた人たちはどう受けとめたか?
「永遠のいのちが与えられるなら、喜んでいただきましょう」そんな風に言えただろうか?
むしろ、言葉に出来ない薄気味悪さを感じたのではないだろうか。
この言葉を聞いた人の中には「これは実にひどい話だ」と反応した人々がいたという。
それが偽りのない正直な反応だったのではないだろうか。

以前、先輩牧師と聖餐式のクローズ・オープンのことをめぐって話をしたことがあった。
その方は、大変自由で開放的な牧師であったが、聖餐式はクローズの考え方をされていた。
「先生ほどのオープンな人が、なぜ聖餐式だけクローズなんですか?」と聞くと、
「だってあれは、イエスの肉を食い、血を飲む儀式だぜ。
 それなりの覚悟なしには取れないだろう」と言われたのが印象的だった。

聖餐式に本物の人肉・人血が出てきたとしたら、確かにひるんでしまうだろう。
「実にひどい話だ」と受けとめるのも無理もない話だ。
相当な覚悟がなければとても食べられないと思う。

しかしイエスの言葉は、そのような「相当な覚悟」を迫るものなのだろうか?
むしろこのように語られたイエスの心情を受けとめたい。
それは「自分のからだを与えてでも、あなたには生きていって欲しい」と願う心情である。
例えば、病気のこどもを思い図る母親の心情、遭難しかけた船の中で救命具を隣人に渡す思い。
それは「究極の愛」である。

自分のからだを与えるほどの愛。
そういったものに支えられて私たちは生かされ、また生かし合っていくのではないか。
だとすれば私たちもまた、そのような愛を人に送ることのできる「ひとり」になれるのではないか。
『母の日』の今日、そんなことを心に刻みたい。




『 あきらめの心に風が吹く 』  ヨハネによる福音書16:4 b-15(5月23日)

「こんなはずではなかった。私たちのこれまでは、何だったのか?」。
自分の重ねてきた苦労が何の意味もなかったと思えてしまうとき、
人は最も徒労感と絶望感を感じてしまう。
イエスの召天日に弟子たちが感じたのは、そんな思いだったことだろう。

そのようなとき、人はしばしば神に祈る。
「どうしてなんですか?どうして私がそんな目に遭わねばならないのですか?」。
神から突き放されたような思いの中、それでもすがるような祈りである。

しかし、神から最も遠く離れているように思えるその時、
実は私たちの魂が最も神に近づこうとしている時なのかも知れない。
順調な時、うまく行ってるときは、神さまなしでも何とかやっていける。
しかし追い詰められてせっぱ詰まった状態で祈る時、
最も近くで切実に神の支えを願い求める姿が浮かび上がる。
そして、聖霊の導きというものは、
そのような祈りをささげる人の心のすき間めがけて注がれるものなのではないか。

今日の箇所は、イエス最後の説教の一節である。
先立つ箇所で、間もなく自分がこの世を去ることを予言しておられる。
動揺する弟子たちにイエスは語られる。
「わたしが去っていくことは、あなたがたのためになる。
 わたしが去らなければ弁護者(パラクレートス)はあなたがたのところに来ないが、
 わたしが去ればやってくる」。

「パラクレートス」とは「傍らに呼ばれたもの」という意味で、
「同伴者」「助け主」とも訳される。
これまでは先導者・イエスがいた。しかしここからは自分で歩まねばならない。
行く道がわからない…そんな中、共に歩み道を指し示してくれる存在、
それが「パラクレートス」である。

イエスの言葉を聞いて弟子たちはどう思ったか?
「いやいや、とんでもない!あなた抜きではとても無理です!」
頭を抱え、うろたえ、動揺する弟子たち。
その「あきらめの心」に風が吹き、何かが始まった。
それがペンテコステである。




『 いのちを与える“ 霊 ”』  ヨハネによる福音書6:61-71(5月30日)

近年、日本の映画やドラマで、
1950年代後半から1960年代にかけての時代を舞台にしたものが多い。
敗戦後のどん底の極貧状態から高度経済成長に向かっていく時代。
貧しさと豊かさに挟まれて、でも夢だけは大きく描けた時代の物語である。

その後社会は成長を果たし、様々なモノは国中に行き渡り、
人々の欲求は概ね満たされた時代を迎えた。
ではそれで人間は幸せになれたか?と問われれば、
むしろ何とも言えぬ閉塞感を感じてしまう...。
そんな現代人にとって、「あの時代」はとても輝いて見えるのかも知れない。

作家の村上龍は『希望の国のエクソダス』という小節の中でこう記す。
「この国には何でもある。ただ希望だけがない」。
人間とは欲求が満たされれば幸せになるような簡単な生き物ではない、
もっと複雑な生き物なんだ...ということを考えさせられる言葉である。

人間は自分の欲望・欲求が満たされることだけでは、
必ずしも幸せになれるわけではないということ。
それは既に聖書においても大切な真理のひとつとして語られている。
「人はパンのみに生きるのではなく、
 神の口から出るひとつひとつの言葉で生きるのである」
             (マタイ4:4、申命記8:3)。
人間とは生きることにより生じる「肉の欲」(食欲、睡眠、生殖、消費行動等々)を
ただ満たすためだけに生きているのではなく、
神の言葉によって「霊的に」養われることを通して、
本当の豊かさに至ることができるということである。

今日の箇所でもイエスは語る。
「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない」。
ここには「霊肉二元論」的な考え方の影響が見て取れる。
古代ギリシャ思想にもよく見られる考え方だ。
そこでは現世的な「肉の思い(現世的欲望)」は人間の原罪であり、
神のみこころに導かれた霊的な関わりこそが大切とされる。

では「肉の思い」というものは否定されるべきものなのだろうか?
私には「肉は何の役にも立たない」と断言する勇気はない。
自分の心の中に「肉の思い」によって輝きを感じる部分があるからだ。
しかしその一方で「命を与えるのは霊である」というイエスの言葉の重みも
大切に受けとめたいと思う。

私たちに出来ることは、この「肉の欲」が支配するような国の中にあって、
「霊に導かれた歩み」を求め続けていくことではないか。

先ほどの村上龍の小節の中に、パキスタンで地雷撤去に関わる日本人少年が登場する。
“ナマムギ”と名乗るその少年は、日本とパキスタンを比較する中でこう語る。
「日本のことはもう忘れた。あの国には何もない。もはや死んだ国だ。
 ここ(パキスタン)にはすべてがある。
 生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある。
 われわれに敵はいるが、いじめるものやいじめられるものがいない。」
                 (『希望の国のエクソダス』)
家族愛と友情と尊敬と誇り。生きる喜びのすべて。
それらのものは「もう日本にはなくなった」と“ナマムギ”は言う。
しかし私は「そやない!」と思いたい。
それはこの国にも確かにあったし、これからも大切に求め続けていくべきものだ、と。

それらのものをこの国にとどまって目指していくこと。
それが「霊に導かれる歩み」だと言えるのではないだろうか。




『「 病 」との向き合い方 』    レビ記13:40-46(6月6日)

口蹄疫や新型インフルエンザといった伝染病の流行は、
私たちにいろいろな複雑な思いを抱かせる出来事である。
未然に感染を防ぐよう努めることは大事なことだが、
そこにはどうしても「排除の論理」に似たものが入り込みやすい。
ましてや家畜に対して行なう「殺処分」を人間相手に行なえば、
それはかつてのナチスの過ちを繰り返すことになる。

レビ記の13章は皮膚病に感染した人への対処を記した規定である。
「重い皮膚病」と訳された言葉は、かつて「らい病」と訳されていた。
現代では伝染力はそんなに強くなく、治療も可能な病気であることが分かっているが、
古代社会においては「恐ろしい伝染病」と捉えられていた。
この病気にかかった人は「神に打たれた者」と言われ、「汚れている」とされていた。

レビ記13:40以下には患者に対する処遇が記されている。
その人はみすぼらしい身なりをし、自ら「私は汚れた者です」と叫ばねばならず、
ひとり「宿営の外」に住むことが命じられた。
病気の苦痛に加えて、共同体から排除されてしまう...。
医学の未発達な古代社会ゆえのやむを得ない処遇ではあるが、
当人の心の絶望はいかばかりのものだっただろうか。

「殺処分」こそなされていないが、それに等しい仕打ちを受けていたと言える。
もちろん現代の視点から一方的に批判することはできないだろう。
しかしそれにしても、「神の救い」が語られるはずの聖書の中に、
このような「排除の論理」が記されていることに対し、やるせない思いを抱いてしまう。

けれども、新約聖書ではその状況が乗り越えられていく。
福音書には、この病にかかった人をイエスが癒された出来事が記される。
イエスに会うために、律法の規定に違反して街中に出てきたその人を、
イエスは排除せず、むしろ「深くあわれんで」(原意は「心痛めて」)受けとめられた。
そして「その身体に触れられた。するとその人は清められた」と記されている。

ここで大切なのは、本当に病気が治ったかどうか、ということよりも、
イエスが「その人の身体に触れられた」ということではないかと思う。
肝心なのは、イエスもまたひとりの古代人であるということだ。
「身体に触れたら、その人の汚れがうつる」と信じられていた時代の出来事である。
それでもイエスはその人の身体に触れられた。
そこには「この人の痛み悲しみが和らぐのなら、うつっても構わない」という覚悟がある。
恐らくイエスはこの人を抱きしめられたのではないだろうか。

このイエスのふるまいから「病気をいかに未然に防ぐか」を学ぶことはできない。
むしろそれは「予防」という観点から見れば、無茶な行為だとすら言える。
しかしどんなに予防しても、心ならずも病気にかかってしまう人は出てしまう。
そんな人とどう向き合えばいいか。
その心構えについては、大切なことを学ぶことができるのではないだろうか。

社会防衛を優先する「排除の論理」に流されず、
人の心の痛み・苦しみ・悲しみに寄り添える、そんな心を求めて生きる...。
それが、私たちがイエスから学ぶ「病との向き合い方」である。




『 たとえ世に憎まれても 』   ヨハネによる福音書7:1-9(6月13日)

東京で行なわれた教団の「部落解放全国会議」に参加した。
部落差別をなくそうと努力している人々に対して、
今も匿名の誹謗・いやがらせの手紙などが届くことがあるという。
「人間解放」を願う人々に対して、憎悪の眼差しを向ける人の存在に、
何ともやるせない思いを禁じ得なかった。
残念ではあるが、社会を少しでも良くしようと思い行動する人が、
かえって憎しみや恨みを買ってしまうということは、昔も今も変わらない。

イエスは自分の命を狙うユダヤ人たちを避けて、故郷のガリラヤにとどまっておられた。
なぜイエスは命を狙われたのか?
それはイエスが「世の価値観」よりも「神のみこころ」を大切に生きておられたからに他ならない。

すると兄弟がイエスに「こんなところでコソコソしていないで、
ユダヤへ行って行動したらどうだ」と言ったことが記されている。
励ます意味ではなく、むしろやっかい払いに似た心境だったのではないか。
イエスが身近にいることによって、ユダヤ人たちの憎悪が自分たちにも及ぶのを恐れたのであろう。

イエスは「世があなたがたを憎むことはない」と言われた。
それは兄弟たちもまた「世の価値観」にどっぷり浸かっているからであった。
「世の価値観」、それは神に従う良心よりも、自己利益と世間体を優先する生き方である。
誰の心の中にも存在する、利己的な人間の姿がそこにある。

しかしイエスは違った。どんな困難や不利益があろうと、
神のみこころを求めて生きる ― それがイエスの生き様であった。
そのためにたとえ「世」から憎まれるようなことがあろうとも、
それを引き受ける覚悟を定めた生き様であった。

ただし、今日の箇所では、今すぐに自爆するような行動を取ることは控えておられる。
「わたしの時はまだ来ていない」。イエスも時を待っておられたのだ。
四六時中、いつも「世」に楯突いていた訳ではない、というのは少しホッとする記述である。

しかし同時に大切なことが問われているということでもある。
イエスは「時」がくれば行動された。そして自らの命を十字架の上に差し出された。
「果たして、あなたはどうなのか?」。

「時」が来た時、私たちもまた立ち上がることができれば、それが一番すばらしい。
しかし、模範解答をその時すぐに出すことができなくても、
少なくとも問いかけを受けているということだけは、忘れずに歩む者でありたい。




『 もいちど会えるその日まで 』  ヨハネによる福音書16:7,22(6月20日)

皆さんにとって「大切な人」が突然いなくなってしまったら、どう思いますか?
寂しくて悲しい、それだけでなく、とっても不安になってしまいますよね。
頼りにしていた人がいなくなる。それはとてもつらいことです。

ところがイエスさまは不思議なことを言われます。
お弟子さんたちに向かって「わたしがいなくなることは、あなたがたのためになる」と言われるのです。
大事なイエスさまがいなくなる。
そのことが「あなたがたのためになる」とは、いったいどういうことなのでしょう?

「ドラえもん最終回」というお話しがあります。
(藤子・F・不二雄さんが描いたではなく、ファンの一人が描いたものらしいです。)

ある日、のび太くんが学校から帰ってきて、いつものようにドラえもんに頼み事をしようとしました。
ところがドラえもんはピクリとも動きません。
タイムテレビでドラミちゃんに聞いてみると「電池切れ」だということ。
「なんだよかった。それじゃ電池を交換してよ」と言うと、
ドラミちゃんは「それが、そんなに簡単な話じゃないのよ...」と困ったように答えます。

電池を入換えると、何とドラえもんの記憶がなくなってしまう、というのです。
これまでのび太くんとドラえもんが過ごしてきた楽しい思い出が、
ドラえもんの頭の中から消えてしまう。とっても寂しいですね。
さぁ、のび太くんはどうしたでしょう。

のび太くんはその後、一生懸命勉強して高校・大学に進み、
工学博士になって、高度なロボット技術を開発していきました。
何のために?
それはドラえもんの記憶を消さないで、電池を取り替える方法を生み出すためにです。
数十年後、のび太博士はついにその技術を開発し、ドラえもんを再起動させました。
目が覚めるなり、ドラえもんは言いました。
「のび太くん、宿題は終わったのかい?」。
その姿に触れて、涙を流して喜ぶのび太の姿がありました。(おしまい)

イエスさまの言葉の意味が分かったかな?
どんなに大切に思う人でも、その人をいつまでも頼りにしていたら、そこには成長がありません。
でも、その人がいなくなることによって、「不安だけど自分で頑張ってみよう」と考える。
そして自分の足で歩き出す。そこに人としての成長があるのです。

イエスさまを失った弟子たちも、ドラえもんが動かなくなったのび太くんも、みんな頑張りました。
「もいちど会える、その日まで。」

(こどもの日 CS合同礼拝)




『 不思議の国のイエス 』  ヨハネによる福音書7:32-39(6月27日)

ヨハネによる福音書のイエスは、哲学的な謎めいた言葉を語る姿が記されている。
共観福音書で、民衆に分り易いたとえ話を用いて語っているのとは対照的である。
私はマルコのイエスに魅力を感じるが、人によっては「神の子」としての自覚を持ち、
深い宗教的な教えを語るヨハネのイエスに心惹かれるものを感じる人もいるだろう。

そのヨハネのイエスの言葉やふるまいが、「何やら意味ありげだが何ともわかりにくい」
そんな風に受けとめられていたのは、昔も今も変わらなかったようだ。
7章10節以下、しばらくの箇所では、イエスと取り巻くユダヤ人とのやりとりの中で、
人々がイエスの言葉やふるまいが、何ともかみ合わない形で受けとめられているのが見られる。
多くの人にとってイエスは「不思議」な存在であった。

イエスは世の価値観に振り回されず、神の御心に従って考え、生きた人だった。
人々が「あたりまえ」を思い込んでいる社会の価値観に対しても、やみくもにそれに従うのではなく、
「本当にそれは神さまから見てふさわしいことなのか」という問いを持ち続ける人だった。
そんな生き方は自ずとラディカルな生き方を生み出す。

「KY(空気の読めない人)」という言葉があるが、その時代の「空気」のようなものが
有無を言わさぬ圧力をもって人々をある方向へ向かわしめようとする中で、
イエスはそれに抵抗し、発言し、行動する人であった。
その意味でイエスは「聖なるKY」であり、「まつろわぬ人」であった。

イエスのそのような言葉や振る舞いを見聞きして、イエスを信じ従う人と、
イエスを理解せず受け入れようとしない人に別れたと記されている。

私たちはどちらだろうか。
イエスに従って同じような道を進むことは、なかなか大変だ。
みんながイエスのようになることはできないかも知れない。
みんながイエスのようにならなくていいのかも知れない。

しかし忘れてはならないのは、私たちのイエスは「まつろわぬ心」をもって
「不思議の国」からやってきた救い主であったということ。
そしてそのイエスとの出会い・交わりのうちに、本当に大切なものに通じる道が開かれている、
そのように信じるのがキリスト教信仰だということだ。




『「血を食べる」ということ 』       レビ記17:10-14(7月4日)

レビ記の記述は14章以下に入って、衣服や家屋に生える「カビ」についての取り扱いや、
男女の尿道等からの漏出のことなど、正直言って読んでいてあまり気持ち良くない内容が続く。
しかし私たちが思う以上に、昔の人にとってはそれらの事柄が大きな問題だったのかも知れない。

衣服や家の「カビ」については、直前の「重い皮膚病(らい病)」と同列で考えられていたことがわかる。
私たちにとっては別々のカテゴリーのことに思えるが、
昔の人にとってはひと連なりの出来事として理解されていたようだ。

今日の箇所は「血を食べてはならない」という教えが記された箇所だ。
「そんなこと言われなくても、我々にはそんな習慣はない」と思ってしまうが、
たとえばスッポンの生き血を飲むことは日本でも行なわれている。
神殿で行なわれた儀式の中で、実際にいけにえを屠っていたユダヤにおいては、
血を見ることも頻繁であり、これは身近な教えであったと言えよう。

レビ記はなぜ血を食べる(飲む)ことを禁じたのか?
「血は命の源」。昔も今も、その考え方に代わりはない。
古代ユダヤ人は、その大切な血を神にささげるからこそ、人の深い罪も赦されると考えた。
(ここからキリストの十字架による「血の贖い」という教義も派生した。)
それほど血は大事なものであり、それを人間が自分の都合で利用してはならないと考えたのだ。
世界には血を大切な食材として利用している地域もあるが、
ユダヤ人の多くはこの戒めを守って今でも血のソーセージなどは口にしないであろう。

このレビ記の記述を根拠に、現代において輸血を拒否しているキリスト教のグループがある。
医師の救命の倫理か信教の自由かで争われた裁判は、信者側の勝訴という結果になっている。
しかし私は何とも釈然としないものを感じてしまう。
イエスの時代には「輸血」という技術はなかった。
レビ記の記述を輸血にまで広げて解釈するのは「こじつけ」のような気がしてならない。

イエスご自身も「私の肉を食べ、私の血を飲みなさい」と言われた。
そうすることで、信じる人々が救いに至ることを示されたのだ。
イエスは細かな規則に従うよりも、人が救いへと導かれることを願われた。
私たちもその姿に従おう。




『 わたしの恥を共に負い... 』  ヨハネによる福音書8:1-11(7月11日)

人は誰でも、自分の弱さに屈してしまった罪責感ややましさをかかえて生きている。
「そんな思い出などひとつもない」と言える人は幸いな人だ。
しかしそれは過ちを犯さずにすむ環境や人間関係に恵まれたラッキーな人生とも言えるのではないか。

すべての人が何のやましさを感じることもなく、
自分の人生を100%神の前に誇ることができるような世界...。
私には「そんな世界、本当に実現するのだろうか...」という疑念がある。
それどころか「そんな世界、実現してほしくない」という思いすら抱いてしまう。
なぜなら、そのような社会は人の弱さや過ちを認めない、
冷たく息苦しい社会になってしまうように思うからである。

人にはやむにやまれぬ事情というものがある。
その事情の中で、心ならずも犯した罪や過ちを「よし」としないまでも、
そこに至った切なさ・やるせなさを、正義の高見から断罪するのではなく、
受けとめ、できれば共に負おうとする。
そんな営みが人の世に暖かみ・温もりを与えてくれるのではないかと思う。

今日の箇所は、ヨハネの中でもよく知られた出来事である。
「姦淫の現場」捕らえられたひとりの女性。
彼女を律法の定め通り石打ちの刑に処すべきか、ファリサイ人たちがイエスに詰め寄った。
これはイエスを陥れる策略である。
“Yes”“No”どちらに答えてもイエスには不利になる難問である。

イエスは当初何も答えず、身をかがめて地面に何か書いておられた。
それでもしつこく問い続けるので「罪なき者、まず石を投げよ」と言われた。
「そう言えば誰も彼女を裁くことができない」そんな確信があったのだろうか?
どうも違うような気がする。
「もしそう言って、それでも石を投げる人がいるならば、私も共に打たれよう」
そんな決意を込めた言葉のように受けとめたい。
イエスは彼女の「恥」を共に負われたのだ。

そんなイエスの静かな気迫に押されたかのように、ひとり、またひとりとその場を立ち去った。
最後にイエスは言われた。「私もあなたを罰しない。
行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない」。
イエスは彼女の「恥・弱さ」を共に負いつつ、
しかしできることならその弱さを離れる生き方を願われたのだ。

「赦し」とは、単に罪を放任したり、罰を免除するということではないだろう。
その人の恥や弱さを受けとめつつ、それらをのり越えて新しく生きることを願う、
そのような祈りの伴う営みのことである。
その暖かさに触れて、人は本当の救いへと導かれる。




『 アフリカの大地 』    ヨハネによる福音書1:43-51(7月18日)

6月~7月にかけて南アフリカで開催されたFIFAワールドカップ。
アフリカ大陸で初めて開催される世界的な祭典である。
事前から治安や運営の問題が不安視され「失敗するに違いない」などとささやかれていたが、
大いなる熱気に包まれて見事大成功に終わった。

アフリカ大陸には今も多くの問題がある。
内紛、民族紛争、軍事独裁、大量虐殺、エイズ禍など、今後克服しなければならない課題が山積みだ。
しかし「だからアフリカはダメだ」と決めつけるのでなく、
その潜在的な可能性を信じ、尊重することも大切ではないか。

「暗黒大陸」「文明未開の地」と称されることの多いアフリカ。
しかし、人類の祖先はアフリカに誕生したことは今最も有力な定説だ。
十数万年もの年月を経て、何世代もの人々が移動・移住を重ねて、現在の人類に発展していった。
創世記にはアダムの創造物語があるが、アダムはアフリカ生まれと言えそうだ。
我々は皆、アフリカ生まれのアダムの子孫なのだ。

アダムの子孫たちが世界に広がっていった歴史には、
大きく分けて三つの「移住集中期」があるという。
アフリカから中東へ、そこからヨーロッパへ、またアジアへ。
さらに海を渡ってオセアニア、南北アメリカ大陸へ。
三つの時代にそれぞれの流れに乗って世界へ散らばっていった人類の祖先たち。
その三つの潮流の痕跡が、三つ全部認められるのは、日本だけなのだそうだ。

アフリカから見てさいはて、極東の地・日本。
そこでは異なる時代にたどりついた人々が互いを排除せず平和裏に共存していった。
それが私たち日本人のご先祖様たちだ。

「アフリカに何ができる」と見下すような意識は、
「ナザレから何のよいものが出ようか」とつぶやいたナタナエルの偏見に通じる。
しかしそのナザレから救い主が現れたわけだし、
最初のクリスチャンとして洗礼を受けたのはアフリカの人だった。
聖霊の導きは私たちの思いを越えた展開を生み出す。
そして今、神に導かれてアフリカの大地から響く歌声は、世界の教会を変革するパワーに満ちている。




『 少し離れて光を負う 』  ヨハネによる福音書8:12-20(7月25日)

関西学院の校章は三日月(新月)である。
そこには不完全だけれども成長を遂げようとする姿が現わされている。
もう一つ、月は自分では光らずに太陽の光を反射して光っている。
それと同じように自分たちも、神の光、イエス・キリストの光を受けて光る存在である...
そんなことを現わすトレードマークなのである。

聖書においては、神さまやイエス・キリストのイメージが光として、
また人間の罪に満ちた社会が闇として語られる箇所が多い。
私たちも前向きな、可能性を感じることは光として、
否定的な、マイナスのイメージの事柄を闇として語りがちである。
そのようなイメージ自体は自然なとらえ方と言えよう。
しかしそこでよく考えたいのは、その光と自分との関係、
言い換えれば、光と自分との「距離感」のようなものである。

光を理想として掲げるあまりに、自分と光とを安易に一体化してしまうことがないだろうか。
「私は以前は闇の中を歩んでいましたが、
 イエス・キリストの福音によって、今は光の中を歩いています」。
証詞などでよく聞く言葉であり、気持ちはよくわかるのだが、
そこで自分が光そのものになってしまうならば、それは少し問題なのではないだろうか。
ひとりの人間の中には光もあれば闇もある。簡単に「光から闇へ」と変われる訳ではない。
なのにそれを二元論でくっきりと分けようとする発想は、やがて「裁き」の意識を生み出す。

「あなたがたは世の光である。その光を人々の前に輝かせなさい。
 人々があなたがたの立派な行ないを見て、天の父をあがめるようになるためである」(マタイ5章)。
そのように言われて「よおし、私も立派な光を輝かせるぞ!」と思うのが信仰深い反応だろうか。
むしろ「確かに光に向かうことは大切だ。でも自分は光にはなれない。
立派な行ないを通して人々を導くなんて、とても自分にはできそうもない」
そんな風に受けとめることの方が大切な受けとめ方なのではないか。

「わたしは世の光」とイエスは言われる。
そのイエスの光の後を、従っていくのが私たちひとりひとりの歩みだと言えるだろう。
その時、私たちはどのくらいの距離感を持って光を追えばいいのだろうか?
それはたいまつを掲げる人の後に従って、暗い山道を歩くことに似ているかも知れない。

あまり光から離れたところを歩くと、途中の道がまったく見えなくなる。
しかし、光の近くに行き過ぎると、自分の周囲だけは明るくなるが、逆に回りが見えなくなる。
少し離れてたいまつを追う。そのぐらいの距離感が最もふさわしい従い方ではないだろうか。
光と自分との間には距離がある。でもほんのり、うっすら道が示され、迷わず歩いていける。

少し離れて光を追おう。




『 「ゆるす」という力 』  コロサイの信徒への手紙3:12-17(8月1日)

戦争は、被害者の心に、深く大きな傷を与える事柄である。
しかしそれだけでなく、加害者の心にも癒しがたい傷が加えられる。
戦争加害に加わってしまったことを悔やみ、眠れぬ夜を過ごす元兵士たち。
彼らもまた戦争によって苦しむ人々である。

一方に戦争による被害者がおられ、一方に戦争の加害者がいる。
そんな現実の中にあって「平和を作り出す人」(マタイ5:9)となることは、
いったいどんな歩みを意味するのだろうか?
被害者の立場に立ち、加害責任を問い、その罪を糾弾するという厳しい道もあるだろう。

しかしみんながその道を歩まねばならないのだとしたら、それは少し息苦しいように思う。
なぜならばそこではもはや、人は間違うことを許されない、そんな空気に支配されるからである。
もっと他に、もう少し手触りが柔らかく肌触りの温かい道があるのではないか。

先月、神戸で開催された『ルワンダフルコンサート』を観た。
ゲストのサンプトゥさんは、ルワンダ虐殺によって両親と4人のきょうだいを殺された体験を持つ人だった。
実際に手をかけたのは、サンプトゥさんの幼馴染みだったという。
民族対立という現実は、過去の友人を現在の敵にいともたやすく変えてしまったのだ。

サンプトゥさんは、はじめその犯人が許せず、憎しみと報復の思いに固まっていた。
酒におぼれ麻薬にはまり、自暴自棄の生活の中、妻も家族も家を離れてしまった。
そんな彼の転機となったのは「犯人のことを許そう」と心に決めてからだったという。

「憎い相手を許す。そう決めた時から不思議な力が沸いてきた。
 自分が変わることで周囲も変わり、家族も戻ってきた。
 相手にも許すことを伝え、再び付き合いが始まった。」サンプトゥさんの言葉である。
「わたしは特別な人間ではありません。誰にでもゆるす力はある」とも言われた。
「ゆるしは相手のためではなく、まず自分のためです。
 ゆるしの文化には世界を変える力がある。その力を世界中に広めていきたい」。

「キリストの平和があなたがたの心を支配するように」。
「愛はすべてを完成させる絆です」。
コロサイ書に記された有名な聖句である。
しかしその一連の言葉に先立って記されているのは
「主があなたがたを赦して下さったように、互いに赦し合いなさい」という言葉である。
許し合うことから「愛と平和」が生まれていく。そう受けとめたい。

ベトナム従軍元兵士の中には、あまりに過酷な記憶に精神を病む人が後を絶たないという。
そんな人々が1990年代、次々にベトナムを訪れるという出来事があった。
彼らがそこで目にしたのは、かつて自分たちが破壊した原野が青々とした水田に変わり、
焼き尽くした村が都会へと変貌を遂げ、そして虐殺した人々の子孫たちが笑顔で迎えてくれる風景だった。
そんな交わりの中で、元兵士たちは熱い涙を流し、心を癒される体験をしたのだという。

今年の8月6日、広島の平和記念式典に、初めてアメリカの代表者が参列するという。
平和記念資料館の元館長・高橋昭博さんはこの報に触れ、言われた。
「遅きに失するという思いもあるが、歓迎したい。
 謝罪してくれとは言わない。ただ、原爆の悲惨さを見て、死者の冥福を祈ってほしい。」

ベトナムでも、広島でも、「ゆるすという力」によって、新たな道が開かれようとしているのを感じる。
許しは過去よりは未来へ向かう。未来の新しい人と人の関わりを生み出す基を作り出す。
そんな「ゆるすという力」に信頼を置き、その力に委ねる。
そこから生まれる平和への営みもあるのではないだろうか。

(平和主日礼拝)




『 天と地のせめぎ合い 』     ヨハネによる福音書8:21-30(8月29日)

今年も余島でのCSキャンプが無事終了した。
子どもたちの素直で元気な姿に触れて、スタッフもまた満たされたキャンプだった。
「人と出会い、神と交わり、愛の火の燃えるところ」(余島の石碑に刻まれた言葉)
その言葉通り、天上の思いに触れたような3日間だった。
しかしそんな満たされた「非日常」はいつまでも続かない。
余島から帰るとそこには日常がある。
そしてその日常の中を、また俗的な思いを抱えて生きていくことになる。

ヨハネ福音書において、イエスは徹底して「天に属する者」として描かれている。
それに対して「世」、すなわち人間の世界は「地に属する人々」の営みとされる。
「下のものに属している者はその罪のうちに死ぬことになるが、
 上のものに属している者は永遠に生きる」。
だから罪を悔い改め、洗礼を受け、天に属する者になりなさい.....
それがヨハネ福音書のメッセージである。

ヨハネが人々を救いへと招こうとしてこのようなメッセージを送っていること、
その熱意と善意を疑うものではない。
にもかかわらず、このような二元論的な言い回しに触れるとき、
なぜか私は深いため息をつかざるを得ない。
人間を「善と悪」「天使と悪魔」「真理と罪」と二分してヨハネは語るのであるが、
私の中には「人間とはそんなにきれいに二つに分かれるものではない」
そんな思いが強くあるからだろう。

ひとりひとりの人間の中に、天に属する世界へのあこがれがあることは確かである。
しかし同じ人の中に、もう一方には俗にまみれた肉の欲・罪の思いがあるのが人間の現実である。
いわば私たちの存在は、「天と地とせめぎ合うところ」といえるのではないだろうか。

そして私たちが信仰生活の中で目指すべきことは、
「私を神に属する者、天の思いを100%抱くものにして下さい」
そのように祈り、そして「私はそうなれる!」と思い込むことではなくて、
どうしてもぬぐい去ることのできない地の思い、自分本位、わがまま...そういうものを抱えつつ、
「神さま、あなたの思いがこんな私の思いを、ほんの少しでもいいから上回るようにして下さい。」
そのように祈ることではないだろうか。

「ひとりひとりの人間は、天と地がせめぎ合うところである...」
それが人間の偽らざる現実であり、そしてそれは、そんなに悪いことではないとも思う。
なぜなら、その「せめぎ合いの質(悩みの質)」というものが深ければ深いほど、
その人の人格の幅・深みというものもまた、備えられていくように思うからだ。

私たちはその「せめぎ合い」の中を、自分ひとりで歩まねばならないわけではない。
共に歩む教会の仲間たち、そして共におられるイエス・キリストがおられることを信じて、
悲壮感漂わせるような歩みではなく、楽しみながらその道を進みたい。




『 人に対する敬意・誠意 』      レビ記18:24-30(9月5日)

今日の聖書の箇所は「いとうべき性関係」について記された部分である。
教会の礼拝で、この種の箇所を取り上げることに、私は少し抵抗を感じる。
性的な事柄というのは人前で大っぴらに話すものではないという感覚が自分の中にあるからだ。
しかし、性的なことも私たち人間の一つの事実であるし、
その営みがあるからこそいのちは引き継がれていく。
そのことを大事に受けとめていくことも必要だろう。

レビ記18章に記された「いとうべき性関係」のほとんどは、
いわゆる近親相姦を禁止した内容となっている。
人間はなぜ親族を形成するのか?その理由は文化人類学者によると、
「近親相姦を禁止するため」だと考えられている(レヴィ・ストロースほか)。
こうした内容の戒めについては、現代の私たちもその内容に納得し同意できる。

しかし、同じレビ記18章の中に、簡単に同意・納得することのできない言葉も記されている。
22節「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである」。
この箇所を根拠に、同性愛者を非難・排除しようとする立場の人々がいる。
しかしその主張に、私は賛同することができない。

現代の科学において、性を巡る心のありようについては
実に多種多様であることが明らかにされつつある。
性的指向が異性に向かわず同性に向かう人(同性愛)。
身体の性と心の性の違いを感じて生きる人(性同一性障害)。
こうしたセクシュアルマイノリティ(性的少数者)の存在を、
聖書の言葉を絶対化することによって否定するのは間違っていると思う。

私の中にも、ためらいがないわけではない。
同性愛の人、性同一性障害を持つ人が友人にもいるが、
その心のありようについては、正直言って「よく分からない」というのが本音である。
しかし分かったふりをせず、ためらいながらも誠意と敬意をもって向き合うこと。
それが大切なふるまいだと思う。




『 真理がもたらす自由 』  ヨハネによる福音書8:31-38(9月12日)

「自由」とは何か?という問題は、実はなかなか奥深いものである。
自由とは「心のまま、意のまま」という風に漠然と考えられることが多いが、
その「心」や「意」というものも常に何かの影響を受けている。
「自分は自由に考え、決断し、行動している」と主観的に思っている人でも、
気づかないところで何かに「とらわれ」てしまっていることがあるのではないか。

今日の箇所はその「自由」をめぐって、イエスがユダヤ人たちとやりとりをした場面である。
「私の言葉にとどまるならあなたがたは真理を知り、自由になる」。
この言葉を聞いて誇り高きユダヤ人たちは「カチン」ときた。
彼らは主観的には「自分は自由に発想し、判断・行動して生きている」と信じていた。
それで「私たちは今まで誰かの奴隷になったことはありません」と答えた。
するとイエスは言われた。「いや、あなたがたは罪の奴隷だ」。

他人がどんな状況にあろうと、自分の欲望を果たすために生きる...。
その自己中心的なありようを聖書は罪だと指摘する。
私たちにも「自分は自由に生きている」と思い込んでいるまさにその時、
この「罪の奴隷」になってしまっていることがありはしないか。
例えば現代人の多くは自ら進んで「お金の奴隷」になっているのではないか。

福音書を読んでていて私たちが印象づけられるのは、
イエスは本当に自由な人であったということだ。
誰からの束縛も受けず、どんな権威にもひるまず、自由に考え自由に生きる。
(だから十字架にかけられたとも言えるのだが…。)
このイエスの自由はどこからくるのだろうか。

それはイエスは「天に属する人・真理を知る人」だったということだ。
だから地上の決め事・人間関係に左右されず、自由に発想できる。
しかし私たちはそうではない。しがらみやとらわれを振り切って生きることは難しい。
そんな私たちにイエスは「愛に根差した自由」「人に仕える自由」を身をもって示された。
私たちもそんな自由をもたらす真理を求めて生きる者でありたい。




『 あなたは神の子?悪魔の子? 』   ヨハネによる福音書8:44-59(9月26日)

連続ドラマ「ゲゲゲの女房」の主人公、漫画家・水木しげる氏は、
「妖怪・お化け・悪魔」といった他の人が取り上げないテーマの作品で人気を博した。
当初はまったく売れず、極貧の生活を余儀なくされたが、
それでも飄々と描き続ける姿に大らかさを感じた。
かえって「悪魔の漫画は発売禁止にせよ!」と、正義の旗を振りかざして迫る
PTA役員の顔こそが悪魔的であった。
悪魔は「正義の顔」をしてやってくるのかも知れない。

今日の箇所は、イエスのもとに集まってきたユダヤ人に向かって、
とても辛辣な、ある意味衝撃的な言葉が語られる場面である。
イエスのことを信じようとしてやってきた人々に向かって、
イエスは「あなたがたは悪魔の子である」と言われたのだ。
読んでいて思わず「それはないやろ」と呟いてしまった。

なぜイエスはこんなに辛辣なことを言われたのか。
前後の箇所を読むと、イエスのもとに集まってきたユダヤ人たちは
「我々はアブラハムの子である」という誇りを強く抱いていた人々であることがわかる。
「私は正しい。私は正統である。」そう自認する人々に向かって、
イエスは「いや、あなたは悪魔の子だ」と言われたのだ。

この箇所の背景には、ヨハネが属する教団における、
分派活動による分裂の危機があったと言われている。
イエスが肉体をもってこの世にこられたことを否定する「グノーシス」というグループがあり、
こうした人々を「反キリスト」と批判する目的があったと言うのだ。
ユダヤ人保守主義者が初代教会を混乱させていたという事情も加わっているのかも知れない。

それにしても「あなたは悪魔の子」とは激しい言葉である。
しかし、もし私たちがそう問われたとしたら、どう答えるだろうか?
「いや、わたしは神の子だ!」と胸を張って答えられるだろうか?
自分自身をよくふり返れば「悪魔の子」と言われても仕方ない部分があるのではないだろうか。

私たちは「恵みによって神の子とされることを願っている、実は悪魔の子」
なのではないかと思う。
そのように考えることは決して自虐的・絶望的なことではない。
少なくとも、主観的には「自分は神の子だ」と正義の旗をふりかざしながら、
実際には悪魔のような顔をして人を裁き排除しようとする人よりは、
ずっとましではないだろうか。




『 神と人とに出会える場所 』  マルコによる福音書10:13-16(10月3日)

本日、増築館を献堂する竣工記念礼拝にあたり、
この計画を実現へと導いてくださった神さまに改めて感謝をささげたい。
今回の計画を進めていく中でとてもうれしかったのは、
「子どもたちのために…」という言葉が繰り返し聞かれたことだ。

幸いなことに東神戸教会にはいま、多くの子どもたちが集っている。
そこには「時代の要請」があるように思えてならない。
子どもの心の成長・成熟にとって、
家庭と学校以外の中間共同体(コミュニティ)における人間関係がいかに大切か。
そんなことへのご家庭の期待を感じるのである。

教会のように老若男女、世代を超えた人々が一同に会するコミュニティは、他にあまりない。
乳飲み子からお年寄りまで、いろんな人に出会える場所、
そしてそれらの人々を結びつける神さまに出会える場所、
それが教会というコミュニティだ。

イエスのもとに子どもたちを連れて来た人々に対し、弟子たちは彼らを叱った。
「これから大事な話があるんだ。やかましい子どもを連れて来てもらっちゃ困る!」
それが弟子たちの言い分だったろう。
するとイエスは弟子の振舞いに憤って言われた。
「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない」。
イエスは何に対して憤っておられるのだろう?

大人にだって静かに話を聞きたい時がある...
その願いそのものは理不尽なものではない。
問題は、その目的を果たすために、弟子たちが子どもたちを「排除」しようとしたことだ。
「自分さえ静かに話を聞ければそれでいい」といった、
独りよがりな自己中心的態度にイエスは憤られたのだ。
むしろ子どもを受け入れた上で
静かに話を聞くにはどうしたらいいかを考えるべきではなかったか。

教会が神さまに出会う場所であることは言うまでもない。
しかし同時に教会は、同じ思いを持つ人々が集まる場所でもある。
だから教会は、自ずと「いろんな人」に出会う場所でもある。
「神と人とに出会える場所」としての教会。
そんな「信仰共同体」をこれからも目指して歩みたい。




『 「聖なる人」のたしなみ 』     レビ記19:1-16(10月10日)

レビ記のような「律法書」は、正直言って読んでいてあまり面白いものではない。
しかし、法の存在がありそれによって社会の秩序が守られている以上、
私たちは法律を尊重しなければならない。

一方で、法というものは、その効力が及ぶ範囲が限定的である。
国や地域、時代、文化などによって、法の効力もまた変化する。
法は決して絶対的なものではない。
改めて「安息日は人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。」と言われたイエスの言葉の意味を噛みしめたい。

最近読んだ文章の中に、こんな指摘があった。
「旧約聖書に膨大な律法書が含まれている。
これほど細かい法が決められているということは、
イスラエル共同体が実に多種多様な人々の集団だったと思える」。

私たちはイスラエル(ユダヤ人)というと「一枚岩」のような印象を持つが、
実はそうではなかったのかも知れない。
人類には成文化した法を持たない社会集団もある。
社会の規模が大きくなり、価値観も多様になるから、
成文化した法が必要になるとも言えるだろう。

今日の箇所は「聖なる人」となるについての人間の振るまいや行動様式に関して、
カタログ的に羅列してある部分である。
その中には、現代日本社会に生きる私たちにとってはもはや意味を持たない定めもある。
しかし一方で、時代・地域を超えて、今も妥当する内容の掟も記される。

内容を大きく分ければ次の三点にまとめられる。
 ①年長者は敬わねばならない。
 ②公正であり、不平等があってはならない。
 ③隣人愛を大切にし、弱い立場の人々を常に配慮せよ。
これらの底流にある考え方は
「強い者、力ある者だけで共同体を構成してはならない」ということである。
共同体のメンバーの中に、老人、子ども、社会的弱者、そういった人々も含み、
「共に生きる」こと。それがここに記された「聖なる人」のたしなみである。

何度も繰り返される言葉がある。

「わたしはあなたたちの神、主である」。

主なる神を中心におぼえる人々の信仰において、これらの戒めも意味ある者となる。
この聖書の箇所を、「聖人になるためのマニュアル」ととらえるのではなく、
神を「主」とあがめる中から、自分にとっての大切な項目を読み取っていきたい。




『 神の みわざが現れるため 』   ヨハネによる福音書9:1-12(10月17日)

人が困難や不幸に見舞われるとき、そこで取りうる態度は3つある。
①もうダメだとあきらめる(絶望)。
②何故こうなったのか、誰の責任なのか、と追求する(原因究明)。
③この中で自分はどうふるまい、どう生きるのかを考える(実存的対応)。
このうち、宗教がその力を発揮するのは、②と③である。

②に関して、分かりやすい「正解」を与えてくれる宗教がある。
例えば誰かの病気に対して「それは○代前の祖先の過ちが原因です。
お札を買いお祓いを受ければ治ります。」という類である。
それで実際に治ってしまうこともあるだろう。
しかしこの種の宗教が最悪の姿を現わすのは、病気が治らなかった時である。
「それは信心が足りないからです!」とさらにお布施や献金を要求するならば、
これは悪徳宗教以外の何ものでもない。

これに対して③の道、即ち「原因は分からないけれども、
この現実をどう受け入れ向き合っていくか」ということを考えていく。
それは宗教のなし得る最も優れた働きだと思う。

イエスと弟子たちが、生まれつき目の見えない人とすれ違ったとき、弟子たちは尋ねた。
「あの人が目が見えないのは、本人の罪によるものですか?それとも両親ですか?」
ここには「親の因果が子に報い」とする「原因究明的」な問いがある。
これまでにも似たような言葉を受けて、この人の心はどれほど傷ついてきたことだろう。

イエスは問いに答える。
「本人や両親が悪いのではない。神のみわざがこの人に現れるためである」。
イエスは原因を答えない。思いは過去へ向かわない。
そうではなく、この人の身の上にこれから起ころうとする出来事へ向かう。
それは「未来への希望」である。

では「神のみわざ」とは何だろうか?
この後、彼はイエスによって癒され、見えるようになる。
それが「神のみわざ」だろうか?
そうではなく、「何の罪の報いだ?」という決めつけに苦しんでいた彼が、
「誰が悪いのでもない」というイエスによってその存在を受け入れられている。
その言葉によって、彼の心の中に生きる希望が立ち上がってゆく...。
それが「神のみわざ」ではないだろうか。




《 メッセージ 》『 「見える」と言い張る罪 』   ヨハネによる福音書9:35-41(10月24日)

私たちの心の中には「正しく生きたい」という願いがある。
その願いに従って生きようとすることは大切だ。
しかしそう願って生きることと、
「自分は正しい。間違っていない!」と思い込むことは、別のことである。
けれども「思い込み」のワナにとらわれた私たちは、
いつしか過ちを犯しながら、それを認めない頑なさの中に閉じこもってしまう。

先日TVのニュースで、車のブレーキとアクセルを踏み間違える事故の特集があった。
とっさの時に「自分は急ブレーキを踏んでいる」と思い込んでしまうと、
パニックになった脳は違う判断が出来なくなってしまうのだそうだ。
「自分は間違いを犯すかも知れない」。
いつもそう意識して運転するのが肝要だということだった。

イエスがシロアムという池のほとりで、生まれつき目の見えない人を見えるようにされた。
回りのユダヤ人たちは苦々しい思いでその出来事を眺めていた。
「どうしてあいつにそんなことが出来たのか?」。
中には癒しを行なったのが安息日であったので、そのことを咎める声もあった。
「安息日の定めに違反する罪人に、どうしてそのような力あるわざができるのか。」

イエスは言われた。「わたしは世を裁くために来た。
見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」。
ファリサイ派の人たちはこの言葉にカチンと来た。
「それは我々が(真理が)見えないということか!」。
するとイエスは言われた。
「あなたがたが『見える』と言い張るところに、罪がある」(口語訳聖書)。

「見えると言い張る罪」とは何だろう?
それは「自分は見えている、自分は正しい」という思い込みの中に
閉じこもってしまう罪である。
私たちが正しく生きようと努める、そのこと自体は尊いことである。
しかしその営みの中に、既に「見えると言い張る罪」に至る萌芽が含まれている。
神さまひとりの他に正しい者はいない。
自分の思い込みの姿をふり返りつつ、
「見えると言い張る罪」から離れて生きる者でありたい。




『 死刑について考える 』     レビ記24:17-22(10月31日)

日本の裁判員制度で初めて死刑求刑の審理がなされた。
死刑制度について「自分には関係のないこと」と言えない時代になってきている。
自分が裁判員に選ばれたらどうするか。今日は「死刑」について考えてみたい。

世界には死刑制度を廃止した国々がある。ヨーロッパはほとんど国が死刑を廃止した。
一方、アフリカの一部、中近東、アジアの大半、そしてアメリカは死刑制度を残している。
そして日本もその中の一つである。

「死刑存続」「死刑廃止」、それぞれに言い分がある。
<存続派の論>①抑止力。重大な罪には相応の罰を与えないと、罪はなくならない。
       ②被害者(遺族)の感情。
<廃止派の論>①冤罪の可能性。
       ②人命尊重は民主主義の原則。

このうち、存続派の人でも冤罪による死刑には反対するだろう。
しかし制度として残ると、必ずそのような間違いがつきまとう、というのが廃止の論。

一方、抑止力について言えば、死刑があるから凶悪犯罪が減るかというと、
必ずしもそうは言えないという調査結果が国連によって報告されている。

また廃止派の「人命尊重ゆえに死刑に反対」と言っても、罰を与えるなということではない。
日本の場合、死刑と、そうでない刑罰との開きがあり過ぎるという問題がある。
「終身刑」が定められれば、死刑制度をめぐる議論にも新たな展開が生まれるだろう。

死刑制度めぐる議論の中で、大きなポイントとなるのが被害者の感情の問題であろう。
昔の社会では「仇討ち」が行なわれていた。
しかしそれだと「返り討ち」の可能性もあるし、血で血を洗う野蛮な時代への逆戻りになる。
国家が代わりに仇を討つことによって復讐心を晴らすというのが、死刑存続の論拠となる。

聖書はどう語っているだろう?
旧約聖書の律法には様々な死刑に関する取り決めがある。
その点から見れば、旧約聖書は死刑制度を肯定、または容認していると言える。
一番有名なのが「目には目を、歯には歯を、命には命を...」という言葉である。
これは聖書が「やられたらやりかえせ!」と復讐を命じているということなのか?

そうではなく、これは加害者側に命じられた償いの戒めである。
相手を傷つけたら、同じ傷を受けることで償わねばならない、ということである(同傷応報)。
これは裏を返せば「受けた傷以上の仕返しをしてはならない」と読むこともできる。
人間の復讐心は増幅するとしばしば押さえが効かなくなるきらいがある。
そういう膨れ上がる復讐心を押さえて、冷静にその過ちを正しなさい...
そんなことを指し示していると受けとめることもできるのではないか。

イエスは「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われた。
その根底にあるのは「復讐心を乗りこえなさい」というメッセージだ。
復讐心を残したまま、いくら報復を果たしてもそこに本当の癒しはない。
イエスはそのことを知っておられた。

ではどうすればいいのか。相手を本当に赦すことができるのか。
難しい問題だが、考え続けていきたい。




『 心を込めて仮住まいを建てる 』   ヘブライ人への手紙11:13-16(11月7日)

日本はお盆や彼岸になると、死者の霊がお墓に戻ってくるという考え方がある。
それでお墓参りをして死者の霊を丁重にもてなす。
しかしキリスト教ではそのような考え方は持たない。
ではキリスト教では死者やお墓をどのように考えているのだろうか。

ユダヤ教では人は死ぬと土に帰る、キリスト教では最後の審判に備えて眠っている、と考える。
その意味では、お墓はその人が地上の生涯を歩んだモニュメントだと言えよう。

もうひとつ、キリスト教ではお墓に重要な意味づけがある。
それはイエスが復活した場所、キリストの永遠のいのちが示された場所という考え方だ。
お墓とは、単に死者の思い出を懐かしむ場所ではなく、
死者と共に永遠のいのちに招かれていることを覚える場所でもあるのだ。

「私たちの本国は天にあります」(フィリピ3:20)。この聖句が示しているのは、
われわれ人間の本当のふるさとは、神さまの下にあるのだという信仰理解である。
すでに召された方はそのふるさとに帰られた方であり、自分もいずれそこに加わる者である...
そんな関わりを信仰によって確認する場所が「お墓」なのである。

今日の聖書の箇所に「地上ではよそ者であり、仮住まいの者」という言葉があった。
(以前の訳では「地上では旅人であり、寄留者」)。
このような信仰理解は、私たちにある種の自由を与えてくれる。
私たちを悩ませる現実の出来事があるが、
必要以上にそれらに囚われ執着する必要はない、という地平を示してくれるからだ。
「大事なものは神さまの下にある」。
その信仰を示すのが「地上では仮住まい」という言葉である。

しかし仮住まいだからと言って手を抜くのでなく、
むしろそうであるからこそ、地上の事にも心を込めて誠実に向かってゆく...。
そんな生き方を示されたのがイエス・キリストであった。

私たちもそんな歩みを目指したい。

(召天者記念礼拝)




『 はんぶんこ 』  使徒言行録4:32-35(11月14日)

はんぶんこをめぐって、きょうだいげんかをしたことはありませんか?
どちらが大きいのを取るかどうかでよくけんかをしますよね。
完全なはんぶんこの方法があればいいのにね。

「おいしいチーズタルトをはんぶんこにしなさい。」とお母さんが言いました。
弟とふたりでけんかせずに分けなければなりません。
どうすればいいのでしょう?

①ものさし、分度器を使って、きっちりはんぶんこに分ける。
これは確かな方法かも知れません。
でも、ものさしが近くになかったらどうする?

②ひとりが目分量でできるだけ半分になるように分け、もうひとりが好きな方を取る。
こうすれば、片方がずるをすることはできなくなります。なかなかいい方法ですね。
でもあまり気持ちの良いはんぶんこではありません。
なぜならこの方法は「相手はずるをするのではないか」と疑うことから始まっているからです。

もうひとつの方法があります。
お兄さん(こうた)がまず、自分が食べる分だけ取る。そして残りは弟(りょうた)にあげます。
もらったりょうたはそれぞ全部食べるのではなく、
やっぱり自分が食べる分だけ取って、残りはこうたにあげる。
こうたはまたまた自分の食べる分だけ取って...
こうやって、少しずつ切って食べながらはんぶんこをしていくやり方です。

この方法だと、正確に計れば食べた分量は同じにはならないかも知れません。
でも、心の中は気持ちよくはんぶんこができます。
互いに相手のことを思いやっているからです。

イエスさまがいなくなったあと、教会の活動を始めた人たちは、
それぞれ自分の持ち物を教会に持ち寄って、必要に応じて分け合っていたそうです。
「だれも持ち物を自分のものだと主張する人はいなかった」と記されています。
どうしてそんなことができたのでしょう?
それは「何でも分かち合うこと、与えることが大切だよ」という
イエスさまの教えをみんなが信じ、実行していたからではないでしょうか。

私たちはそこまではできないかも知れません。
でも「分かち合うことは大切だ」、この心だけは大事にしていきたいと思うのです。

秋の収穫の季節です。
農家の人々のたくさんの人々の苦労があって、作物は実ります。
「お金を出せば何でも手に入る」と思うのは、とてもごう慢です。
感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
そして収穫を祝うのに一番ふさわしい心は、「分かち合う心」です。 
その心を大切に育てましょう。

(収穫感謝CS合同礼拝)




『 おどろくべき恵み 』      詩編116(11月21日・第3礼拝)

世界で最も有名な讃美歌のひとつである“Amazing Grace(驚くべき恵み)”、
その作詞者であるジョン・ニュートンは、アメリカの元奴隷商人の白人であった。
ある時、乗っていた舟が嵐に遭遇し、命の危険が迫り来たとき、彼はこう祈ったという。
「神さま、どうぞお助け下さい。もし助けて下さったならば、
 自分の罪を悔い改め、残りの人生をあなたにささげます」。

はたして嵐は去り、彼の命は助かった。
陸に上がったニュートンは奴隷売買の仕事を辞め、神学校に通い牧師になった。
そしていくつもの賛美歌の歌詞を作った。
そのひとつにアイルランド調のメロディがつけられ、
歌われるようになったのがアメイジング・グレイスである。

歌詞の中にこんなフレーズがある。

“Amazing grace… that saved me a wretch like me”
「こんな卑劣漢をも救って下さった、神の驚くべき恵み」。

この“wretch”という言葉に込めた思い、
そこにジョン・ニュートンの悔い改めの心が表わされている。

後にこの歌を最も好んで歌ったのは、黒人奴隷たちであったという。
強制労働に苦しまされた奴隷たちは、やがて黒人霊歌という歌を生み出した。
それは白人たちの馴染んできた賛美歌とはまったく違うメロディ・リズムを持つものだった。
この歌を歌うことで、奴隷たちは白人の抑圧にもめげずに生き続けることができた。

そんな彼らが、なぜ元奴隷商人の白人が作った歌を好んで歌ったのか。
それは“wretch”という言葉にもうひとつ「哀れな人」という意味があり、
その言葉が自分たちの境遇にピッタリ重なるものだったからである。
奴隷の状態は辛く苦しく悲しい。まさに“wretch”な存在である。
しかし神さまはそんな哀れな人間を救って下さるお方なのだ...。
この歌を歌うことで、哀れに思える状況を、それでも失望し切ってしまわないで、
神の恵み・救いを信じて生きることができたのである。

それにしても不思議なめぐりあわせである。
奴隷制度への加担者がその罪を悔い改めて作った歌が、
その奴隷制度で苦しんだ人々に救いと希望を与えたのだから。
しかし、だからこそ神の救いの出来事は
「驚くべき恵み」として人々に語り継がれていったのである。

神は立派な人、すぐれた人だけを救われるのではなく、
“wretch”な人をこそ救われる...。
そんな「驚くべき恵み」を信じて生きる者でありたい。




『 若枝の力を信じて 』  エレミヤ書33:14-16(11月28日)

「100年に一度の不況」と言われている。
アメリカの「リーマンショック」に端を発し冷え込んだ経済状況は、
一向に回復する兆しを見せない。
あおりを受けて、就職活動でまだ内定をもらえていない大学生が4割近くもいるという。

こうした状況に対し有効な手だてを打ち出せない政府への批判が高まっている。
しかし現在起こっている現象は、もっと本質的な変化だという指摘もある。
一方で経済成長が限界に来ていること、一方で少子化が進行していること。
この二つの事柄による「移行期的混乱」だというのである。
それは今まで私たちが体験したことのない構造的な変化である。

今後日本は人口が減り、経済も縮小する中をどうやって生きてゆくのか、
それを考える時期に来ているのではないだろうか。
「もう一度過去のような経済発展を!」というのとは別の、
新しい価値観の創造が求められている。

預言者エレミヤの時代もまた、「移行期的混乱」の時代であった。
イスラエルにとって最も屈辱的だと言われたバビロン捕囚の時代。
それは国家消滅にも至りかねない、大きな危機の時代であった。
しかしこの出来事を、むしろ神が与えられた試練の時と受けとめ、
自分たちの信仰をもう一度見つめ直す機会としたのである。

それによって人々の精神性はむしろ高められ深められ、
「苦難の民・ユダヤ人」というアイデンティティを持つに至る。
そして旧約聖書の多くの部分がこの捕囚期に編纂され、書き記されていったのである。

今日の箇所は「神は必ずイスラエルを見捨てず、救いを与えて下さる」
そんな希望を預言するエレミヤの言葉である。
「正義の若枝」。それがエレミヤの抱いたメシアのイメージである。
それは、倒れて朽ち果てそうな木のそばから生えてくる若木を意味している。

絶望的に思える「移行期的混乱」の中にも、
必ず次の世代を担う新しい希望の芽が立ち上がってくる...
そのような若枝の力への信頼が、エレミヤに回復の希望を語らせるのである。

先日TVで秋田県の「限界集落」(このまま過疎が進めば消滅せざるを得ない集落)に、
「地域おこし協力隊」として赴任した二人の若者の特集を見た。
最初、地域の人に受け入れられず、なかなか交流が果たせなかった若者たち。
しかし春になって、彼らが田植えをしようと村人に教えを請うあたりから風向きが変わる。
農業(稲作)の知識も技術もない若者たちの奮闘を、
見るに見かねて村人たちが次々に手を貸し始めた。

そうして迎えた収穫の秋。
村人の長老が「こりゃあ絶品だ!」と言うほどの品質の米が取れた。
喜びの収穫祭で神楽を踊る長老たち。踊りを踊るのは数十年ぶりだという。

若者たちは何かに秀でていたわけではない。むしろ農業の現場では役立たずであった。
しかしそのたどたどしい振る舞いが、固まりかけていた村人の心をほぐし、
「もう滅びるしかないわい...」とあきらめていた人々に元気を与え、
無力な若者を支えることによって、村人たちも共同体の喜びを取り戻したのである。

倒れた木の根元から生える若枝には、そんな希望を作り出す力が与えられている。
若枝の力を信じつつ、主の降誕を迎える準備を重ねよう。




『 おさなごが導く平和 』      イザヤ書11:1-11(12月5日)

北朝鮮が韓国の領土を突然攻撃し、犠牲者が出た。
これによって朝鮮半島の緊張が高まっている。
かの国の傍若無人ぶりには憤りを禁じ得ないが、
「力には力を!」という声に対しては慎重を求めたいと思う。

朝鮮半島の分断の歴史を検証すれば、日本にも一端の責任があると言わざるを得ない。
今年は「日韓併合」から100年目の節目に当たる。
日本は35年間にわたり朝鮮を植民地化し、
土地を奪い、人びとの名前や言葉を日本風に改めさせた。
日本の敗戦は朝鮮の人びとにとっては解放の出来事であったが、
当時の政府が降伏する時期を引き延ばしたためにソ連の参戦を許し、
結果的にそれが戦後の分断につながった。
半島の分断・対立を「人ごと」で語る訳にはいかない。
「力には力を!」ではない、平和裡な解決を祈りたい。

世界の歴史を振り返れば、「力には力を」という形で一応の平穏が実現したことはあった。
しかし表面上平穏に見えても、それは本当の「平和」だろうか?
古代ローマの歴史家・カルガクスがこう述べている。
「ローマ人は破壊すること、殺戮し略奪することを『支配』と呼び、
人住まぬ廃墟を作るとそれを『平和』と名付ける」。

東西冷戦時代、米ソの間に直接的な戦闘はなかった。
しかしそれは想像を絶するような数の核兵器を突きつけ合う中で、
かろうじて保たれていた「平穏」であった。
私たちはそれが本当の平和でないと直感的に感じる。
なぜならそれは、相手を疑うところから始まるからだ。
本当の平和とは、人間を信じるところから始まるものではないか。

イザヤはアッシリアの圧政からユダヤの人びとを救う、救い主の到来を預言した。
しかしそれはアッシリアの絶大な力に対して、
それを上回る力で相手を打ち倒す「救い主」ではなかった。
「子牛は若獅子と共に育ち、小さい子どもがそれらを導く」
「幼な子は毒蛇の穴に戯れ、マムシの穴に手を入れる」
力を持たない者、力弱き存在の象徴であるようなおさなご。
その力弱き存在が本当の平和を導くのだとイザヤは語る。

おさなごの眼差しには、暴虐に見える人間から暴力性を抜き取る力がある。
その『人間性』を信じるところから平和は始まるのではないだろうか。
そしてそのことを私たちに知らせるために、
イエス・キリストはおさなごの姿でこの世に来られたのだ。




『 喜びの祭り 』      ゼファニア書3:14-20(12月12日)

Eさんのお孫さん・Aくんが、
教会に来ると見事な手さばきでだんじりのリズムをたたいてくれる。
幼稚園で練習を重ねていて、だんじりのお囃子が身に染みついているという。
地域における祭りの伝播力に改めて感心させられる。
キリスト教では他宗教の祭りを「異教の風習」と遠ざける考え方もある。
もちろん信仰の違いを意識することは肝心であるが、
人々が祭りを大事に思うその心情は大切に受けとめてもいいのではないかと思う。

人類にとって祭りは不可欠な行事であった。
特に農耕社会を営むようになり、共同体に格差が生じる時代になると、
大がかりな形の祭りが定着するようになったという。
これは祭りが格差社会によって生じるストレスを解消し、
今を生きる喜びを感じる機会となるからであり、
社会の安定のためにも祭りが必要とされたのだ。

「だんじり」で有名な大阪・泉州の岸和田や泉大津などでは、
祭りの数日間のために残りの360日を生きているような人が存在する。
人間にとって祭りとは、神に祈る儀式という側面だけではなく、
生きるエネルギーを生み出す営みだと言えよう。
逆に言えば祭りが失われる時、人は心の糧を失い、生きる意欲をしぼませてしまう。

今日の聖句は、歴史的状況の中で祭りを祝えなかった人々に向けて書かれた言葉である。
ゼファニアは、あの預言者イザヤと同じ時期に活動した預言者で、
イスラエルがアッシリアの属国にされていた頃が時代背景である。
ゼファニアは最初、この隷属の苦しみが生じたのは、
イスラエルが神に背き罪を犯したからだ!と激しく非難の言葉を語る。
「主の怒りの日」という言葉が度々登場するが、
これは後にレクイエム(鎮魂歌)の中でも歌われるテーマとなった。

そのゼファニアが、3章の後半に入ると、一転して言葉を変えて希望を語り始める。
「この絶望の中からも主を信じ礼拝する者(「残りの者」)が新しく現れる。
 その時イスラエルは歓呼の声をあげる。
 主は祭りを祝えず苦しめられていた者を集められる」。
そのようにゼファニアは希望を語るのである。

絶望的な状況で祭りを祝えない時もある。
しかしそれでも私たちには祭りを祝う心が残されており、
その祭りを再び祝う時、私たちはいのちの輝きを取り戻すことができるのである。

泉大津の出身である漫才師のオール阪神さんが、
今年30年ぶりに地元のだんじりに参加された様子を収録したTV番組を見た。
阪神さんは、あることををきっかけに、祭りに参加しなくなったという。
今年30年ぶりに祭りに参加し、終了後の慰労会で挨拶をされた。
「さぁ、祭りが終わった!これで街の人はまた一年間祭りの準備を過ごさはるんや...」
そう語るや否や、彼は号泣を始めた。

実は30年前の祭りの当日、彼のお母さんがみんなを接待しようと忙しく走り回る中で、
くも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなられたというのだ。
母の死という悲しみで、それ以来祭りを祝えなかった。祝う気になれなかった。
しかし時の流れの中で、めぐりめぐってまた祭りを祝う日がやってきた。
オール阪神さんの流した涙には、ようやく本当の意味で母を送ることができた安堵感と、
人間にとって大切な営みである祭りを取り戻した喜びが、滲み出ていたような気がした。

クリスマス。それは私たちにとって「喜びの祭り」である。
私たちに人生の豊かさ、愛の力の偉大さを教えてくれたイエス・キリストの誕生を、
心から喜び祝いつつ、クリスマスの時を迎えよう。

 ♪イエスの盃を受け、祝う道はひとつ
  喜びのお祭りだ、イエスをいま迎えよう♪ (アイオナ共同体賛美歌)。




『 神さまのこども 』    ガラテヤの信徒への手紙3:26-28(12月19日)

今日、二人の洗礼式(ひとりは小学6年生)が行なわれることを心から嬉しく思います。
洗礼(バプテスマ)とは、水を注がれてこれまでの罪を洗い清め、新しく生れる儀式のことです。
では洗礼を受けたら何か人間が変わるのでしょうか?
急に賢くなったり立派になったりするワケではありません。

でも何も変わらないかというと、そうでもありません。
道を歩く方向の少しの違いが、長い距離を歩けば大きな違いになるように、
やはり洗礼によって私たちの人生は変えられるのです。
私たちを変えてくれるもの、それはイエスさまの教えと、それを信じる心です。

今回、洗礼準備の中で、6年生のこうた君に「洗礼を受けたらどうなると思う?」と聞いたら、
「神さまのこどもになる」と答えてくれました。
「うん!そうだね!その通り!」そう返しました。
ただ、この答は大正解なのだけれど、いきなり究極の答にたどり着いちゃった感じです。

中学の数学では正解を書いただけではマルをもらえません。
どうやってその答えにたどり着いたか、その途中の式を書かなければならない。
同じように洗礼でも、受けたらいきなり神さまのこどもになるのではなく、
途中の道を歩まねばなりません。
「途中の道」。それは何かというと「イエスさまの弟子になること」だと思うのです。
イエスさまの教えを自分にとって大切なものだと受けとめて、それに従うことが大切なのです。

神さまに喜ばれる、神さまのこどもになること。
それが私たちの目指すゴールだとすれば、イエスさまの弟子になることはスタートです。
そしてそのスタートを「私は切ります」というのが洗礼なのだと思うのです。

今日、教会の仲間入りをする人たちが、すてきな「途中の道」を歩まれることを
心からお祈りしています。




『 失われた者を探し求める 』  ヨハネによる福音書10:7-18(12月26日)

かつて田沢湖で絶滅したと思われていたクニマスが、
遠く離れた富士五湖の西湖で棲息が確認されたという報道があった。
確認した大学の教授は、標本を見てクニマスだと分かったとき、
「頭が真っ白になった」と語っておられた。

私もつい最近、ポケットから落としてしまった収入印紙(何と一万百円分!)を、
道で必死に探して再び見つけるという体験をした。
失われたと思われたものが出てきた時の喜びは、何にも代え難いものがある。

ルカ福音書には、あの良く知られた「失われた羊を探す羊飼い」の譬えと共に、
「無くした銀貨を見つけた女性」の譬えが記されている。
いずれも「失われた人の存在を、神さまは探し求める」という話であり、
同じ内容と受けとめられることが多い。
しかし今回の印紙の件を体験して、少し違いを感じることとなった。

百匹の羊を持つ人は、それだけの財産を持つ裕福な人だと言える。
故に探し求める姿にも「余裕」のようなものを感じる。
これに比べて銀貨を無くした女性の方は、部屋の隅々までほうきで掃いて探し回る。
貧しい暮らしの中「せっぱ詰まっている感」に充ち満ちているような気がする。
だからこそ、見出した時の喜びにも大きいものが感じられる。

今日の聖書も「羊飼いの譬え」である。
イエスは「私はよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」と語られる。
「牧師」も羊飼いに譬えられることがあるが「果たして羊のために命を捨てられるか?」と、
この聖句から問われるような思いで読む箇所である。
「雇い人は羊を置いて逃げる」とも語られている。
自分はいったいどうなのか、自戒を込めて我が身を振り返る。

命を捨てることは実際難しいことかも知れない。
しかし、失われた羊を探し求めることはできるのではないか。

私たち人間の関係の中には、残念ながら、図らずも、
途切れてしまったように思える人間関係というものがある。
しかし、それを「仕方ない」とあきらめるのでなくて、少しずつでも手繰り続けたい。
してそれが再び交わったなら、あの銀貨を見つけた女性のように喜ぶ者でありたい。




 
 
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